田中馨(Hei Tanaka)インタビュー
− なにもないのが理想 −

田中馨(けい)の満を辞してのリーダー・バンドHei Tanakaの音は、喜びと確信に満ちている。同じインスト・バンドとして、刺激を受けずにはいられない。決してメインストリームではない独特の音楽性にも共感する。一緒にやってみたい。話を聞いてみたい。

インタビューは、多摩川上水にあるロバハウスという一風変わった建物で行われた。ここは、古楽器や創作楽器を使って全国の子供達に向けた演奏活動を行っている『ロバの音楽座』の拠点だ。建物内にはコンサートが開けるスペースもあり、谷川俊太郎や山下洋輔なども出演する。

田中のバンド仲間であり妻である松本野々歩(ののほ)は、『ロバの音楽座』のリーダー松本雅隆(がりゅう)の娘であり、現在ふたりはロバハウスのすぐそばで暮らしている。

ロバハウスに並べられた世界中のめずらしい楽器たちに囲まれて、自家製ハーブのお茶を飲みながら、ゆったりと話を聞いた。

[取材・写真:近藤哲平]

『ぼ~ん』

ー『ぼ~ん』、だいぶアヴァンギャルドですねー!でも、王道のサウンドではないけれど、楽しく聴ける。「難解」って形容詞は似合わないし、複雑さが先に立つ印象もありません。

田中:やりたかったのは、めちゃめちゃ複雑だったり、変なことやってんなーってことじゃなくて。たとえばラジオで流れて、たまたま聞いた人が「なんかおもろいやん!」ってなったらいいなーって思って作りました。 

ーそういうの、いいですね!日本て、メイン・ストリーム以外の音楽に触れる機会がとても少ないと思うんですよ。好き嫌いの前に、出会いがない。Hei Tanakaみたいなバンドが受け入れられていけば、町に流れる音楽も多様化して出会いも増えるかも、って期待します。

田中:やっと1枚出せただけなので、これが世の中に広まれば、ですけどね(笑)。

田中:Jpopだったり、今の日本のメイン・ストリームでやってる人たちにも負けたくないなーってすごく思います。それもあきらめちゃダメだなって。

ー実は変わった音楽性であればあるほど、そういう意識は大事なのかもしれませんよね。音楽性を追求するあまり、リスナーと距離ができてしまうバンドもいるし、そうすると孤立していって、活動が難しくなる。Hei Tanakaは、絶妙なバランスのバンドだと思います。

『ぼ~ん』はカクバリズムからの発売ですが、アルバムを作る際に、レーベル側から提案もありました?

田中:何もなかったかな(笑)。任せてもらいましたね。

ーすばらしいですね!音楽業界、まだまだ望みありますね(笑)。

パンクからモンドからザッパまで

ー音楽は複雑なのに、やけに勢いがあるじゃないですか。歌なんかまるでパンクみたいで、すごく面白いです。

田中:中、高とパンク・バンドやってたんで、そういうものへの憧れはあると思いますね。そのころはベースと、歌も歌ってました。ボーカルのときは、声がでかすぎて、音がぜんぶ割れる、っていう感じでしたけどね(笑)。

ーちなみに、どんなバンド聴いてたんですか?

田中:パンクのバンドだと、コークヘッド・ヒップスターズ。

有名なところだと、バックドロップ・ボムやブラフマンとかも聴いてました。中学生の頃は、ピーズ派かカステラ派があって、けっこうみんなピーズが好きだったんですけど、なぜか僕はカステラが好きで。ボ・ガンボスとかソウル・フラワー・ユニオンも好きでしたね。

ーひねくれたバンドばっかりじゃないですか!(笑) ソウル・フラワー・ユニオンは、アンサンブルもごちゃごちゃしてて勢いもあって、カオス感がHei Tanakaに通じる気もしますね。

田中:高校生になるとアナログ(=レコード)を買いはじめて、古い音楽も聴くようになりましたね。あと高校3年生くらいかな、『モンド・ミュージック』の影響で世界のいろんな音楽を聴くようになりました。まだ情報がない時代だし、あの本は読み漁りましたね。作ってる人たちの「これおもろい!」っていう熱量がすごい。

ーたしかに。いまだに、モンド/エキゾチカを扱った本であれを超えるものはないですよね。

あと個人的には、以前のツアー・タイトルに(フランク・)ザッパの名前を使っていたのが気になりました。

田中:実は、ザッパの音楽自体がすごく好きなわけじゃないんです。あれだけの音楽をやってるのに、ステージではただのエロいおっさんに見えるところが、キュートで好きなんですよ。でも、お客さんに「ザッパ感じました!」って言われたら、それは素直にうれしいですけどね。

狙ってやれない音楽を、なんとなくやってみた

ー僕は、ザッパの盟友の(キャプテン・)ビーフハートを連想しました。特に、ギターのフレーズやサックスに、近いセンスを感じましたね。

田中:それはうれしいですね!ビーフハートはめちゃめちゃ好きだけど、あれこそ狙ってやれるもんじゃないですからね。

ーHei Tanakaも、狙ってやれないですよ。楽器編成からして、普通のバンドじゃないですし。 どうしてサックス3本なんですか?

田中:もともと、サックスっていう楽器があんまり好きじゃなかったんですよ。ジャズにはいいのかもしれないけど。

ーたしかにサックスって、ジャズやソロ楽器っていうイメージが強いです。歌モノでも、おしゃれな合いの手を入れる、っていう役割が多いし、ホーン・セクションだとトランペットの方が目立つし。

田中:逆に、あえて好きじゃない楽器に囲まれてみたら面白いかも、って思ったんです。サックスが10人くらいいたらどんなになっちゃうんだろうとか妄想したりしていました。

ーサックス3本も、セクションとしてではなくて、それぞれ独立したパートとして動いてますよね。それぞれのパートも、馨さんが考えてるんですか?

田中:そうですね。最初は僕が全部打ち込みして譜面書いて渡してます。高尾のワクワクビレッジっていう市民施設を12時間くらい借りて、自分のパートをそれぞれ4時間くらい個人練してからみんなで合わせる、っていう合宿みたいなことを最初の頃はやってました。

ーあれ、譜面あるんですね。

田中:譜面、ありますよ(笑)。

ー曲によって構成もさまざまですよね。展開が多い曲の場合、どうやって作っていくんですか?

田中:インスト曲を作る時は、まずストーリーを考えます。たとえば、南米のどっかの遺跡のまわりの、まだ文明と出会ってない民族のお祭りで起こったことだな、とか。もちろん全部フィクションだし、音楽的に向こうのリズムはこうだから、ってやってるわけじゃないんですけど。

ーいわゆるワールド・ミュージックも参考にします?

田中:ワールド・ミュージックも好きですよ。新年にトルコに行ってきたんですけど、そこでもレコードやテープを買ってきました。出会うのが好き、みたいなところがあって。僕の知らないところで暮らしてる人たちの日常の音楽を、知識なく買って聴くのが面白いんです。音楽的にびっくりすることがたくさんある。

ーあと、以前と比べて、歌モノが増えましたね。

田中:歌モノを作ろう、って思ったわけじゃなくて、アルバムを作ってるうちに自然に増えていった感じです。たとえば楽器のソロについても、最初から決めずに、楽曲やステージが豊かになりそうだと思ったらソロを入れる。そういう作り方だから、時間がかかるんです。2年ぐらい作ってましたからね。

ー2年て、けっこう長いじゃないですか。バンドが解散することだってあります。メンバーも変わってないんですよね?

田中:変わってないですね。

ーライブはけっこうやってたんですか?

田中:1年目は各地でライブをやってましたね。そもそも、最初はライブをすることしか考えてなくって。CDを作るのって、またちがう運動神経が必要だし、そのことを考えてるヒマがなかったんですね。音源にすることを考えながらやってたらうまくいかないだろうな、って思って。6人で舞台に立ったときに、Hei Tanakaとしての答えにたどり着くための曲をつくって、そのためにみんなとの時間を使う、っていう。

ーバンドをやりたい、っていう欲望はあったんですか?

田中:いや、なかったですね。Hei Tanakaは、ショピンで日本大学の学園祭に出たときに、企画してた仲原くんていう人から、馨さんソロやった方がいいですよ、って言われたのを真に受けてはじめたんです。なんとなく、やってみたら面白いかなと思って。

ロバハウス

ーHei Tanakaの、ひとことでくくれないような音楽性って、ロバハウスの環境も影響してるのかな、って思います。これだけの楽器が身近にあるってすごい。世界の音楽のミニ・ライブラリーのようなものだし、日常的にいろんなめずらしい音楽に触れながら生活するわけじゃないですか。

田中:そうですね。雅隆(がりゅう)さんと、レコード聴きあったりもしますしね。

ー雅隆さんは、音楽の歴史を研究したり楽器を作ったりもしてるんですよね?

田中:そうですね。でも雅隆さんて、研究家目線じゃなくて、すごく無邪気なんです。もちろん、とっても深い知識を持っているけど、そんなことより「面白い音出るんだよね~!」みたいな、少年が面白いもの見つけたときみたいな体温で話せるのが楽しいですね。

ーへー!いいですね。長年子供たちを相手に演奏してるっていうこともあるんでしょうかね。堅苦しいと子供はひいちゃいますし。馨さんも子供向けの演奏やってますけど、それって野々歩(ののほ)さんの存在も大きいんじゃないでしょうか。もし野々歩さんと一緒にいなかったら、子供向けの音楽もやってなかったかもしれませんよね。

田中:やってなかったと思います。野々歩のお父さんの活動を知るまでは、音楽ってバンドやるしかないと思ってました。子供たちに向けての音楽ですが、何かに迎合することなく、本当に喜びとしてやってる。しかも子供たちを取り巻く世界にちゃんと響かせるって、けっきょく同じことをやってるんじゃんって。そんな音楽のやり方があるんだって知りませんでした。

ー僕も、小学校とかに、それこそロバの音楽座みたいな団体が演奏に来た記憶はなんとなくあります。でも、そういう人たちの存在は、ぼんやりと想像してただけだし、選択肢もなかったし、そういうミュージシャンと出会うこともありませんでした。馨さんの経験は貴重ですよね。

田中:僕が知らなかったように、たとえばバンドやってたりすると、バンドってこうやるもんだろう、って決めてる人も多いんじゃないかと思います。音楽やる、有名になる、食ってく、ってこういうことだろう、って。だから、いろんな選択肢があるってことを、まわりにも共有していけたらいいなと思います。

ーいまでも、ライブ・ハウスにノルマ払うのが当たり前と思ってる人たちもいますからね。

田中:食ってくっていうことだけじゃなくて、やり甲斐っていう意味でも、いろんな角度があるなって思うんですよね。以前、お芝居の音楽で、舞台で僕一人で演奏することがあったんです。そのときは、演出家さんに何か投げかけてもらって僕が答えるっていう作業の繰り返しで、すごいいっぱいやり取りをして。答えを探している様な冒険感と、一緒に作る喜びがありましたね。それまで、音楽やっててこんなに何かを投げかけられたことってなかったんです。そういう作り方があることを、知らなかった。めちゃめちゃ大変でしたけど、その先の喜びも知れました。 

田中馨という「現象」

ー舞台の音楽をやったり、チリンとドロンでは子供に向けて演奏したり、いろんな場所でいろんな人たちを相手に音楽をやってますよね。

田中:それでも、ちがうことをやってる気持ちはなくって、Hei Tanakaも同じライン上にある感覚なんです。ライブや劇場に足を運んでくれた人たちに対して、簡単なことを言えば、来てよかったな、って思ってもらいたい。チリンとドロンは特にそうだし、舞台の音楽もそうですね。その経験は、Hei Tanakaにも生きてます。俺がベース弾かなくてもいいし、そこにいなくてもいい。田中馨を見てもらわなくてもいいんです。そう思ってると、いろんなことが捨てられる。こうやりたい、こうなりたい、こう見れらたい、っていうものが薄れてくるんです。経験値が邪魔になることもありますからね。

ーこうやったら盛り上がるだろう、みたいなことですか?

田中:そう。それを毎回捨てれる覚悟ができたというか。毎回まっさらで、気持ちだけがずっとあるというか。同じ客は二度といなくて、同じ会場は二度とないので、日々更新していかなきゃいけないですから。

田中:いまのメンバーでやり始めてすぐくらいに、SNSで「Hei Tanaka 見たけど音楽的に何もなかった」みたいな事を書いてる人がいて、それが妙にうれしかったんですよ。「何もない」っていうことをやった、っていう喜びがすごくあって。微妙なバランスで成功したと思ったんです。

ー小泉文夫の本の中で大好きなエピソードがあるんです。エスキモーがクジラか何かを獲るんですが、一人では無理なので、何人かで捕りに行くんですね。そして、獲れたら喜びの歌を歌うんだけど、3人いたらそれぞれが全く別の歌なんです。僕らの感覚からすると音程もリズムも違ってぜんぜん合ってない。でも彼らは、みんなで一緒に歌ってる、ってことが喜びなんです。批評や評価ってものがなくて、「一緒に歌う」っていう行為自体を受け入れる素直さがすばらしいな、と。Hei Tanakaの音楽にも、そういうシンプルな喜び、っていうものを感じます。

田中:行為、っていうのは、ただの現象であって、何もないのと一緒ですよね。それは理想なのかもしれないな。

ーHei Tanakaは、馨さんの感じることが投影された「現象」なのかな、って思います。

田中:そう言われると、よく2年も「現象」目指して続けてきたなーって思いますね。

ーその「現象」の一部でいることが、きっと気持ちいいんでしょうね。でも、もしバンドに入ってくれ、って誘われたら、ものすごい躊躇すると思いますけど。

田中:それ、いろんな人に言われます(笑)。

田中馨(たなか けい)

得意なのはコントラバスとエレキベースと曲作り。2011年まで、SAKEROCKのベーシストとして活躍。

2019年自身がリーダーのHei Tanakaの1stアルバム「ぼ~ん」がカクバリズムからついにリリース!ベース、ドラム、ギターにサックス3 人から歌ものあり、インストありの、エネルギーの塊のような楽曲とそれぞれの態度で、音楽に振り回され続けた先にある様は泣けて笑える、最後は大きなクエスチョンのお土産付き
そんなライブは必見!各地で話題沸騰中。

そのほか、赤ちゃんと楽しむ 世界の遊び歌 わらべ歌を演奏する「チリンとドロン」子ども遊びを通して新しいパフォーマンスを考える「ロバート・バーロー」幅広い層に人気のアコースティック デタラメ うたものユニット「ショピン」を軸に「トクマルシューゴ」や「川村亘平斎」「オオルタイチ」など類稀なる最高なミュージシャン達との活動で数多くのフェスや海外ツアー、音楽の場にとどまらず色々なプロジェクトに積極的に参加させていただいている昨今。

舞台の音楽を担当を担当することも多く、ペンギンプルペイルパイルズ主催の倉持裕の作品や劇団はえぎわ主催のノゾエ征爾の作品に多く関わる。

代表的な作品は

  • 2010年 二人芝居「Griffon」森山未來×菊池凛子+Levi’s
  • 2011年「ヴィラウランデ青山~返り討ちの日曜日」企画:竹中直人×生瀬勝久
  • 2013年 北九州芸術劇場リーディングセッション vol.22「続・世界の日本人ジョーク集」
  • 2015年 東京芸術劇場 「気づかいルーシー」 原作:松尾スズキ/脚本・演出:ノゾエ征爾
  • 2016年 Parco劇場「ボクの穴、彼の穴」 原作:デビット・カリ/訳:松尾スズキ/脚本・演出:ノゾエ征爾
  • 2017年 北九州撃術劇場「どこをどうぶつる」構成・振付・出演:森下真樹,大植真太郎,田中馨
  • 2018年 Parcoステージ「命売ります」原作:三島由紀夫/脚本・演出:ノゾエ征爾

そんな0才から神様までを相手に創作活動する経験を生かして、ライブハウスや各地のフェス、舞台作品、現代美術、こども達。数多くの面白そうな現場に節操なく現れて、かすかな波紋を呼んでは消えていく。ちょっと不思議な田中印の活動は今の日本の中でとても貴重で稀有だと評価する人もいるとかいないとか。

http://www.tanaka-kei.com/
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雨宮圭佑(discos PAPKIN)インタビュー
ービルなんて建てなくていいー

世界中のミクスチャー音楽を取り扱うWEBストア、discos PAPKIN。ワールド/トロピカル・ミュージックの比重も大きく、of Tropique としては気になる存在だ。特筆すべきはその品揃えで、カタログの独自性は数ある音楽ストアの中でも際立っている。情報がほとんど出回っていない海外のインディーズ作品まで網羅し、そのほとんどが視聴できる点も素晴らしい。しかしサイト上には何の説明もなく、どういう方針でどうやって運営されているのか、謎である。直接聞くしかない。冬の渋谷、音楽好きに愛される居酒屋サロン・MeWeで、代表の雨宮圭佑に話を聞いた。

[取材・写真:近藤哲平]

 

きっかけはマヌ・チャオ

雨宮:もともとクラブ・カルチャーが好きだったんです。ジャングルやドラムンベースを聴いていて、そこからレゲエにハマりました。
南米の音楽に惹かれたきっかけは、マヌ・チャオですね。あるDJイベントの終わった明け方、CARIBBEAN DANDY(雨宮の所属するDJチーム)の藤井悟さんの家で、1stアルバムを聴かせてもらったんです。まだ21才ぐらいだったから、約20年前ですね。

ーパリ発ワールド・ミュージックのブームで、マノ・ネグラ(マヌ・チャオの在籍していたバンド)は日本でも人気ありましたよね。

雨宮:そうですね。でもマヌ・チャオの1stはすごいシンプルで、マノ・ネグラのパンチが効いた感じとはまた違う。レゲエっぽいけどレゲエじゃないし、なんなんだろう、って思いましたね。
それからマヌ・チャオみたいな音楽を探すうちに、メキシコのモンテレーのアコーディオン・プレイヤー、Celso Pinaに出会ったんです。映画『バベル』のサントラにも使われた「CumbiaSobre El Rio」を聴いて、これだ!って思いました。イギリス人DJRuss Jonesがコンパイルした『Future World Funk』っていうオムニバスの2曲めに入ってたんです。

雨宮:2001年のリリースで、ラテンやブラジルやいろんな音楽が入ってて、本当に面白い。エル・スール・レコードで試聴して、僕が欲しいのはこの2曲めなんだ!って思いました。でも、まだパソコンもなかったし、いろんな人に聞いても情報がなくって。これが「クンビア」っていう音楽だとわかったのは、数年後ですね。

HMV渋谷店

雨宮:自分の店を始める前は、2010年まで渋谷のHMVでワールド・ミュージックのバイヤーをやってたんです。
最初はダンス・ミュージックのコーナーに配属されて、そのあとなぜかジャズに移動になって。ジャズなんてぜんぜん知らなかったから、お客さんに質問されても分かんない。いちいち先輩に聞いて覚えていくしかなくって、大変でしたね。

雨宮:もともと夜勤スタッフとして入ったんですよ。そのころHMVは夜12時まで営業していたんです。僕が入る前、1ヶ月間だけですが朝5時までやってたこともあるんですよ。

ー朝5時まで!?

雨宮:Jpopや売れ線の置いてある1階のフロアだけ開放してたらしいんですよ。でも、始発待ちの酔っ払いだけになっちゃって()

ーそうなりますよね()

雨宮:それから1~2か月して、ワールド・ミュージックの売り場に欠員が出て、そっちに移ることになったんです。まだそんなに詳しくなかったんですけど、レゲエがわかればなんとかなるだろう、ってことで。運命を感じましたね。

CDの売り上げがだんだん下がっていく頃ですよね?

雨宮:そうですね。朝5時まで営業したり、お店としてはいろいろトライしてたんですけど、ソフトが売れなくなっていった時代だから売り上げもどんどん落ちていって。

ー音楽が売れなくなる過程を体験してるのにレコード屋をはじめるって、すごい決断だったんじゃないですか?

雨宮:ノリと勢いですね。結婚もしてなかったしガールフレンドもいなかったし、俺ひとりなんとかなるだろうって思って。会社勤めが嫌で、いつか独立したかったんです。

discos PAPKIN

雨宮:オンライン・ショップですが、ポップアップ・ストアをやることもあります。あと、僕はDJもやるから、DJ(販売と)セットでイベントに呼ばれるんですよ。函館、新潟、上越、郡山、大阪、高松、高知、松山、甲府、いろんな場所に行商に行ってます。

ーへー!フロアで流れて気に入った音楽を、その場で買えるわけですよね。 

雨宮:そうです。これも好きなんじゃない?って勧めることもできるし。ライブ感があって、すごく楽しいですよ!

ーそれはいいですね!DJで呼ばれてるんだし、音楽性の合う人が集まるわけじゃないですか。お店の品揃え自体が独特だから、ファンも多いでしょうしね。

雨宮:喜んでもらえてる実感はありますね。

ー品揃えとしては、国内外問わずインディーズが充実してますが、最初からそういう方向性だったんですか?

雨宮:そうですね。HMVはスーパー・マーケットだから、なんでも売るんですよ。たとえば、韓流やKポップもワールド・ミュージックに分類されていて、なかには愛のない企画モノとかもあるんです。そうすると、なんでこんなの売らなきゃいけないんだ!って気持ちになる。だから今は、100%胸張っておすすめできるものだけ置きたいっていつも思ってます。それで気に入ったものをどんどん仕入れてると、ああいう並びになるんですよ。逆に今度は予算がないっていう問題もありますけどね()

discos PAPKIN のサイトは、試聴できるものが多いですよね。たとえばHMVやタワー・レコードで気になるアルバムを見つけても、20003000円すると即決はできない。せめて1曲でも聴けてそれが良ければ買うのに、って思ったことが何度もあります。

雨宮:そうなんですよね。今やってるのは、あのころできなかったことを、どれだけ細かいところまで小回り利かせれるか、ですね。

ー仕入れは、どうしてるんですか?

雨宮:ネットをメインに、とにかく探します。気になるものは、取引してる海外のディストリビューターのデータ・ベースを調べて、なければ、ミュージシャンに直接コンタクトを取ります。

ブラジルの町、ベレンの話

ー海外に行って仕入れることもありますか?

雨宮:1度だけ、3年くらい前かな、ブラジル北部のアマゾン側沿いの、ベレンっていう町に行きました。テクノブレーガっていう、ベレン発祥の音楽にどハマりしたんです。

雨宮:ビジネスのやり方も独特で、ソフトを売るんじゃなくて、とにかくライブでお金を稼ぐんですよ。ライブ会場でフリーのCDRを配って宣伝して、年間100200本ライブをやって稼ぐっていうスタイルなんです。

ーアルバムとして、発売もしてるんですか?

雨宮:大きいところからちゃんと発売してるのは、よっぽど売れてる3つか4つのバンドだけですね。でもそういうものは、ディストリビューターがいくつも間に入ったり、送料も高いので、売値が高くなる。だから、現地で仕入れた方がいいんじゃないかと思って行きました。
でもあまりテクノプレーガ はありませんでしたね。以前にベレンに行ったことがあった吉祥寺Baobabの店主ヨースケ君に、レコードも買った方が良いと言われていたので、中古屋を回っていろんなレコードを買いました。
一番の収穫は、ギタハーダっていう現地の音楽を知ったことです。ランバダのインスト版みたいな、ギターがメインの音楽なんですけど、リズムも面白いしギターもいい。カリブの音楽やペルーのチーチャ、アフリカン・ギターの影響もあるし。

ーそれは現地に行ってから知ったんですか?

雨宮:そうです。レコード屋のおやじが教えてくれたんです。日本には情報もほとんど入ってきてなくて、僕はぜんぜん知りませんでした。ギタハーダあるか?って聞いてまわって、かなり仕入れましたよ。

ーその出会いはすごい!行った甲斐がありましたね。

雨宮:着いた時は怖くてしょうがなかったですけどね。ポルトガル語もぜんぜんできなかったし、文字情報もあまり調べてなくて。空港着いてホテルに着くまで、もう映画の『ロッカーズ』(1978年のジャマイカ映画。レゲエ文化を世界に広める役割を果たした。)の世界ですよ。裸でバイク3ケツしてるような。小さな町だし、とにかく怖かった。治安がめちゃくちゃ悪いんですよね。ホテルのオーナーは日本人で、ブラジル人の奥さんとベレンに23年住んでるんですが、僕が行った2週間くらい前に、町で夜に身ぐるみはがされたそうなんです。メガネや靴まで、ぜんぶ持ってかれた、って。

ー靴まで!

雨宮: 南米は、別の宇宙だと思いましたね。文化も言葉もちがうし、すごくいい経験でした。
雨季だったんで、午後3時~4時の間にいつもスコールが降るんですよ。とんでもない量の。だから、朝から出かけて3時にはホテルに戻って、部屋でビール飲みながらレコードを聴くのが日課だったんです。日本で聴くのと現地の環境で聴くとでは、同じ音楽でもぜんぜん違って聴こえる。ああこの音楽はこの土地から生まれたんだ、っていう気持ちになりましたね。

ー土地の風土って、音楽に影響してますよね。

雨宮:そうですね。向こうの人は、ルーツに対する思い入れも強いですしね。
日曜に広場に行くと、着飾ったおばあちゃんがカリンボーの生バンドをバックに踊ってたりするんですよ。毎週広場で踊ることを楽しみにしてるおばあちゃんなんて、最高じゃないですか!

ー何年通ってるんでしょう。それが日常なんでしょうね。

雨宮:そう。日常に近いところに、カルチャーや伝統がある。不思議な町でしたね。すごく自由で居心地がよくて、ご飯も美味しいし、また来たいなって思いましたよ。アマゾン川も見れたし、とにかく最高でしたね!

50枚注文して15枚しか届かなかった話

雨宮:帰国して、それらを売ったことで、今度はブラジルのレコード・ディーラーがコンタクトしてきたんですね。値段交渉して50枚くらい送ってもらったんですが、荷物が届いてみたら、15枚くらいしか入ってなかった。

ーえー!

雨宮:送料の関係で二回に分けて送るから、って言うんですよ。1週間くらいしてまた荷物が届いたら、今度は3枚しか入ってないんですよ!しかも、前と同じレコードも混じってる。病気で入院してるから、とかわけわかんない理由を言ってくるんで、PayPal(海外で多く利用されている決済会社)にクレームを出たんです。そしたら、いま海外にいるから自分の兄弟に頼んでレコード送らせた、って謝りのメールがきて。追跡番号もあって、ちゃんと発送されてる。で、何が来たと思います?

ーレコードじゃなかった?

雨宮:手紙が届いたんですよ。

ーえ!どういうことですか?

雨宮:直筆の手紙で、ゴメン、みたいなことが書いてあるんですよ。頭にきて破り捨てましたよ!()
たぶん、詐欺的なディーラーだったんでしょうね。リストが本物だったのかもわかんないし、そのあとPayPalのアカウントも凍結されてました。こっちは、その50枚を年末の目玉商品にするはずだったので、もう大変でしたけどね。

ーうわー、それはつらいですね。

雨宮:以前にeBay(海外のオークション・サイト)でレコードを買ってたときも、ブラジルからレコードが届いたことがないんですよね。もうブラジルから買うのはやめよう、って思ってたところに、その事件があって。まあいい勉強になりましたよ。これ話すと、みんな大笑いしてくれるし()

コロンビア音楽にハマる

雨宮:それ以来、南米からレコード買うのが怖かったんですけど、コロンビアのディーラーとは取引きしています。

ーコロンビア音楽にも強いですよね。

雨宮:コロンビア音楽は、HMVのワールド・ミュージック売り場でクンビアを特集することになって、Discos Fuentes(コロンビアの老舗レーベル)を知ってからですね。そのレーベルにいたAfrosoundっていうバンドにハマったんです。

センスのいいバンドで、コロンビアにいながらチーチャ(ペルーのクンビア)をやってて、90年代 になるとレゲトンやパナマのレゲエとかやりだすんですよ。マヌ・チャオも、Afrosoundのギターをサンプリングしてます。
Afrosoundは、コロンビアでもペルー側のバンドなんですけど、そのうちコロンビアのアフリカ寄りの音楽にもはまって。パレンケっていう逃亡奴隷のコミュニティの音楽で、コンゴのスークースとかの影響を受けてるんです。

これはAbelardo Carbonoっていう人のリーダー・アルバムで、82年のリリースです。

アフロ・コロンビアのスーパー・ギタリストで、いまも現役でクアンティックと曲作ったりしてます。

チーチャにハマってたし、ギター・クンビアだと思って買ったんです。それがアフロ・ルーツのコロンビア音楽だと分かったのは、Soundway(トロピカル音楽シーンを牽引する、イギリスのレコード・レーベル。)から2010年に出たこの編集盤のおかげです。

このレコードのおかげで、色々な点がつながって線になりました。そのころのSoundwayはまだリイシューがメインで、出すコンピ出すコンピがぜんぶヤバかった。出たら全部買ってましたね。

ーいまはどうやってシーンをチェックしてますか?

雨宮:やっぱりネットですね。あと、昔から大好きで店でも取り扱ってるGalletas Calientes Records っていうレーベルがあって、そこのオーナーから教えてもらうことも多いです。新しいリリースや、これからやろうとしてる情報とか。このレーベルは、システマ・ソラールのファースト・アルバムのリミックスシングルを出してたので知ったんです。どこからも仕入れられなかったので、直接コンタクトを取りました。僕のお店のベースの一つですね。彼はフランス人で、僕が知った時はまだフランスで活動してたのが、そのあとコロンビアに移住したんです。自分のやりたいことに素直で、ビッグ・リスペクトなんですよ。やっぱり移住となったら、勇気がいりますからね。

トロピカル・ミュージック

ー現行のトロピカル・ミュージックを聞きたいと思っても、手がかりがないんです。ネットを探せば個々の情報はあるんだけど、それを整理するマップのようなものがない。もちろんガイド本なんか出てないし。

雨宮:僕の中にも、トロピカル・ミュージックのマップはないんですよ。お店もトロピカルミュージックの専門店ではないし。

ーたとえば、サルサやレゲエって、ジャンルとして確立してるじゃないですか。だからイメージもしやすい。でもトロピカル・ミュージックっていうジャンルは、まだそこまで確立してないものなのかなって。

雨宮:「トロピカル」っていうのは、ジャンルというより、ひとつのキイワードでしかないと思うんですね。カリプソやレゲエの中にトロピカル・ミュージックの要素はあるし、ブラジルにもアジアにもある。だから定義づけしにくいですよね

ーなるほど。鈴木さん(鈴木庸介。こちらのインタビュー参照)と話したときにも感じたんですが、発信する側の人たちも、シークレットな情報ルートを持ってるわけじゃない。探しまくってトライ&エラーを積み重ねるうちに、「トロピカル」というキイワードに対する基準ができていくのかな、って。だから、discos PAPKINのお客さんて、トロピカル・ミュージックのファンじゃなくて、雨宮さんのファンだと思うんですよね。

雨宮:そうかもしれないですね。トロピカル・ミュージックが何かって、僕もよくわからないですからね。

ーたとえば、トロピカルミュージックに興味あるんだけど何聞けばいいですか?って質問されたとしたら、どう答えます?レゲエの名盤何ですか?みたいなノリで。

雨宮:うーん。たとえば、これとか。

雨宮:Uproot AndyっていうDJBersa Discosから出した12インチ(レコード)です。出たのが2008年で、もう廃盤で手に入らないんですけど。ZZK(アルゼンチンのレコード・レーベル。デジタル・クンビアの火付け役となった。)と一緒に台頭してきたレーベルで、デジタル・クンビアの他に、パナマのレゲエやアフロ・コロンビアのリミックスも出してました。
これが僕の中でのトロピカルですね。アフロでカリブでハッピー。明るさが根底にあるものが好きなんです。キモを押さえてない人がやると、キラキラしすぎちゃうんですよね。聴いてて恥ずかしくなっちゃう。あんまりキラキラしすぎてもダメで、硬派な不良性もないといけない。

ーなるほど。マヌ・チャオなんて、不良性ありますもんね。そういえば、彼が出てきたころって、まだトロピカルっていうキーワードはなかったですよね?

雨宮:なかったですね。90年代はバルセロナが熱くて、「移民」「ディアスポラ」がキーワードだったと思うんですよ。音楽で言えば、ラテン、ミクスチャー、メスティサーヘですね。
トロピカルって、2010年以降のキーワードなのかもしれない。バンパイア・ウィークエンドが出てきたのもその頃ですね。

ーなるほど。バンパイア・ウィークエンドからの音楽の流れも、トロピカルって呼ばれてますよね。トロピカルっていうキイワードが可視化されたのは、彼らがブレイクしたことも大きいのかもしれない。でも、あっちには不良性をあまり感じません。

雨宮:マーク・リボーのような、偽物っぽさを売りにする感覚が、ウィークエンド・バンパイアにはないですよね。ハッピーになりすぎちゃってる。

雨宮:彼らの思ってるトロピカルと、僕らの思ってるトロピカルって、きっと違うんですよ。「トロピカル」って、そのくらい実態のないものなんですよ。細分化されていろんなものが出てきて、面白くなっていくのはこれからじゃないですかね。

『キング・オブ・コメディ』

ーそういえばdiscos PAPKINの「パプキン」て、どういう意味なんですか?

雨宮:映画『キング・オブ・コメディ』の、ロバート・デ・ニーロが演じる主人公の名前から取ったんですよ。ルパート・パプキン。スペルは変えてますけど。

ーそうだったんですか!

雨宮:ルパート・パプキンは34歳で、僕も店をはじめたとき34歳だったんです。コメディアンになりたくて誘拐までやっちゃう。パッションというか、そのくらいの気持ちでやりたいな、って。

ー「パプキン」てなんだろう、って気になってたんですよ。最初は、かぼちゃのパンプキンかな、って思いました。

雨宮:主人公がなかなか名前を覚えてもらえなくて、パンプキンさん?って間違えられるシーンがあるじゃないですか。あれをやりたかったんです()。お店のショップ・カードも、映画の最初の方でパプキンがジェリー・ルイスに渡すカードをサンプリングしてるんですよ。「僕の誇りと喜びを」、って言って渡したカードが、実はPride&Joyっていう洗剤のカードだった、っていうシーン。

ーへー!そこまでは覚えてないです。

雨宮:まあ、そうですよね()。最初は、パプキン・レコーズにするつもりだったんですけど、CARIBBEAN DANDYの須藤(カズヒロ)さんに、discos PAPKINがいいよ、って言われて。

ーそれ、Discos Fuentesからですか?

雨宮:そうです!

ーなるほどー!しかし、扱ってる音楽から『キング・オブ・コメディ』は連想しないだろうし、そもそもスコセッシ&デニーロの中ではマイナーな作品じゃないですか。それとDiscos Fuentesって、さらに結びつかない。

雨宮:誰にも指摘されたことはないですね()

ーそういうこだわりって、いいですよね。気づかれない部分にこだわるって、無駄かもしれない。でも「無駄な情熱」こそが素晴らしいと思います。何かが滲み出してきて、ぜったい面白くなる。
それにしても、ルパート・パプキンに憧れてる時点で、ビジネスとしてどうなんだ、って()

雨宮:でもあの映画、パプキンが刑務所から出てきてベスト・セラー出して人気コメディアンになる、ってところで終わってますからね()

ーたしかに!() そのうちdiscos PAPKINからベスト・セラー級ヒットが出るかもしれない。

雨宮:そうだといいですね()。まあ、なんとか6年やってこれましたよ。店をはじめたときは30タイトルだけで、しかも各タイトルにつき1枚~3枚くらいしか仕入れてなかったんです。ビビりだから、在庫抱えたくなかったし、お金もなかったんで。それがいまでは1700タイトルくらいに増えましたからね。

ー初期衝動がすごいですよね。田舎からバンドやりたくて荷物ひとつで上京してきた少年のノリですよ。

雨宮:やるしかない!やるんだ!みたいな気持ちでしたね。

これから

ーここまでやってきて、次の目標やアイディアってありますか?

雨宮:実は、いまは制作に興味があるんですよ。レーベルをやりたいんです。Copa Salvo7インチ(・レコード)を出す話を進めてます。

ーいいじゃないですか!7インチだから、2曲ですか?

雨宮:はい。曲もできてるしデモもあって、あとはレコーディングするだけなんですけど、(Copa Salvoの)リーダーが新潟に住んでるのでスケジュール調整が難しいんですよね。やれることは先にやろう、って思って、ジャケットの撮影もして、プレス会社に見積もりも出してもらってます。レーベル・マークのイメージもあるし、あとは曲ができてくるのを待つだけなんですよ。Copa Salvo初の日本語詩なんです。今までと違う感じで、すごくいいですよ!

ー へー!聴いてみたいです。キャリアのあるバンドの初の日本語詩なんて、反響も大きいでしょうね。「新生Copa Salvo!」みたいになるといいですよね。

雨宮:そうですね。34枚とリリースを続けて、アルバムまで出したいと思ってます。

30枚からはじめて、6年やって、制作まではじめて、って、ひとつのサクセス・ストーリーだと思います。そもそも最初から、センター街に出店したりビル建てることを目標にしてないわけだし。

雨宮:ぜんぜん思ってないです。そういうことじゃないですからね。

ー節目ごとにCARIBBEAN DANDYの人たちやいろんな助けがあったり、お店のファンも含めて、音楽を好きな人たちが周りに集まっているのが素晴らしいですね。ビルなんか建てるより、とても健全だと思います。

雨宮:本当に、いろんな人たちのおかげですよ。DJとレコード屋で飯食っていけるんだ、っていうところを見せたいですね。なかなか音楽で食えない後輩を雇うくらいまでいきたいなーって思ってます。

ーそうなったら最高ですね!

雨宮 圭佑 (あめみや けいすけ)

山梨県甲府市出身。DJ CrewCaribbean Dandy」の一員としてFuji Rock Festivalなどの国内外のフェスから大小さまざまなクラブ、ライブハウス、バーなどで活動。これまでにレゲエ専門ではないDJ/クリエイターによるレゲエ・ミックスCDシリーズ「Strictly Rockers」から世界の裏打ちと銘打った「El Ritmo Del Mundo De Atras」をリリース。またコロンビアの名門レーベル「Discos Fuentes」の音源をセレクトしたクンビア・コンピレーション・アルバム「CUMBIAS CUMBIAS CUMBIAS CUMBIAS」の企画・監修・解説の執筆などを行う。2012年よりオンライン・セレクト・CD/レコード・ショップ「discos PAPKIN」をオープン。現在はネットだけでなく出張販売も頻繁に行っている。

http://discospapkin.com/

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廣瀬拓音(KPM)×しみずけんた(コロリダス、of Tropique)
ー明るく楽しいのが正しいー

廣瀬拓音(左)  しみずけんた(右)

下町レア・グルーヴキウイとパパイヤ・マンゴーズ(KPM)と、南米系みんなのうたコロリダス。ラテン音楽をベースとしながらも、良い意味で「軽さ」のあるスタンスは、国内のラテン/トロピカル系のバンドでは珍しいだろう。メイン・ストリームとは程遠い音楽性でありながら10年以上のキャリアを持つ点も、共通している。

ヨーロッパをはじめ、アジアやアフリカでも頻繁にライブを行い、独自の活動を続けているKPMリーダー廣瀬拓音と、コロリダスのリーダーでof Tropiqueのメンバーでもあるしみずけんたの、ワールド・ミュージック対談。音楽ファンに愛される名店、武蔵小山商店にて。

[取材・写真:近藤哲平]

 

KPMとコロリダス

ーラテン系って真面目にルーツを追求するバンドが多いじゃないですか。どれだけ本場のホンモノに近づくか、みたいな。そんな中で、KPMとコロリダスは異質だと思うんですよ。歌ものだし、すごくポップだし。やはり昔から交流があるんですか?

しみず:最初は、イベントで一緒になったんです。2010年ですね。ちょうど(チャラン・ポ・ランタンの)小春ちゃん経由でKPMを知ったばかりで、パワフルにワールド・ミュージックをやってるのに詩はポップで乙女、っていうのが新鮮でした。

廣瀬:その頃は、小春はメンバーじゃなくってサポート的に混じってもらってた。まだアイツ1920歳くらいだったと思うな。

しみず:あのイベントのときって、まだコロリダスをはじめて2ヶ月ぐらいだったんですよ。

廣瀬:そうなんだ!

しみず:大学で同じサークルだった英心から企画ライブに誘われて、キューバから帰ってきたぽんを誘って3人で出たのが最初です。それまで、サークルの発表会でボサノバの弾き語りくらいはやってたんですけど、バンドははじめてで。

廣瀬:群馬にいるときは?

しみず:ロックが好きで、ギター弾いたり、ちょっとドラム叩いたりしてました。
ラテン音楽いいな、って思ったのは、高校生のときです。フジ・ロックに行ってマヌ・チャオを見て、レゲエとかスカとか、それまで聴いてたアメリカやイギリス以外の音楽に触れて。それで、大学ではサンバ・サークルに入ったんです。そしたら、サークルに音楽好きの先輩がいて、マヌ・チャオ知ってたんですよ!みんな知らないと思ってたから衝撃でしたね。
タクトさんは、上京する前はどんな音楽が好きだったんですか?

廣瀬:レゲエだね。もともとヒップ・ホップが好きで。中学のころは岐阜の無人駅からわざわざ名古屋まで通ってレゲエやヒップ・ホップのCD買ってたよ。でも、田舎でレゲエ・バンドやろうって思っても、誰も仲間がいない。中学校時代もバンドやってたけど、みんなスピッツとかミスチルがいいって言うわけ。俺は嫌いだったんだけど()、しょうがないからやってた。

高校入ると、メロコア(メロディック・ハードコア)・ブームがあったじゃない?

しみず:ありましたね。ハイスタとか僕も聴いてました。

廣瀬:でも俺はジャマイカぽいのやりたくて、吹奏楽部の女の子とか誘って無理矢理スカコアやツートン・スカみたいのをやってた。
それが大学行ったら、レゲエやってます、っていうサークル(早稲田の中南米研究会)が勧誘ビラ配っててさ、しかも女の子がみんな可愛い()。ライブ見に行ったら、すごい美人のドラマーがワン・ドロップ(レゲエのリズム・パターンの一種)踏んでてびっくりしたね。あー東京来てよかったなーって。ぜったいこのサークル入ろうって思った。

KPMは、サークル内で結成したんですか?

廣瀬:俺とドラムの永田がサークルの幹事長と副幹事長だったとき、それまで学校からサークルに対して出てたお金が廃止されることになったんだ。それで、部費を稼ぐためにあわてて営業バンドを組んだのがKPMのはじまり。OBの結婚式や商店街のイベントで演奏してたね。

ー最初は、キウイ、パパイヤ、マンゴーちゃんの3人ボーカルだったんですよね?

廣瀬:うん。でもパパイヤちゃんは2ヶ月ぐらいですぐ辞めちゃって、キウイちゃんとマンゴーちゃんの2人ボーカルになったんだ。当時はもっとポップスみたいだったね。ボサノバっぽいコードでラヴァーズ・ロックをやる、みたいな。結婚式でも受けがいいし、女子大生が歌ってるっていうのでちょっと人気が出たんだよね。そのころ盛り上がってたカフェ・ミュージックのブームに乗って、Lampやモダーン今夜がいたMOTEL BLEUっていうレーベルから、CDを出したんだ。それがけっこう売れて、フジ・ロックに出たりして盛り上がっちゃって。でも、カフェっぽい音楽は営業バンドだからやってただけで、俺は本当は興味なかったわけ。それで、2作目から自分の好きないろんな国のフォーク・ミュージックの要素を入れていったら、みごとに売れ行きが下がっちゃった。そしたらあるとき事務所の社長が、どっか行っちゃったんだよね。夜逃げみたいな感じでばっくれちゃった。で、しょうがないから自分でやることにしていまみたいな形態にしたのが、2009年。

田舎と都会

廣瀬:その年に、いまのバンドの方向性につながる『Tropical Japonesqueっていうアルバムを自主制作で出したんだ。

そしたら、細野晴臣の「トロピカル三部作」を引き合いに出されたんだけど、じつは聴いたことなかったんだよ。知ってはいたけど、都会的なものにコンプレックスがあったから、聴かずにいたんだよね。

しみず:タクトさんって、「田舎と都会」っていうフレーズを、飲んでても口癖のように出すじゃない?田舎のコンプレックスみたいなのが、音楽にも影響してるのかな、って思うんですよ。俺は群馬なんですけど、田舎と都会っていう比較ではあんまり考えたことがなくって。いまはネットで好きな音楽を探して聴けるじゃないですか。自分の好きなものを突き詰めることができる。そういう時代にあって、都会と田舎の差って何ですか?

廣瀬:たとえば俺の田舎みたいな、親戚の中に誰も大卒がいないような環境だと、いまでも家にパソコンがない人も多いんだよ。本棚もない。スマホは持ってるけど、なにかを検索するまでに至らない。ストリーミング・サービスもそんなに普及してないと思う。

しみず : そうなんですか!

廣瀬:いわゆるセンスがいい、文化的な音楽に耳がいく人って、田舎だと皆無なんだよね。俺は、岐阜の山の中にバブル期に突然できた、分譲住宅地みたいなところで育ったのね。無人駅で、親戚はみんな同じ工場で働いてるような。興味がある本やCDを手に入れるのにも、すごい苦労した記憶がある。
東京に来て気づいたのは、センスがいい音楽やってる人って、家柄も良かったり、圧倒的に高学歴の世界なんだよね。俺は進学校にも行かなかったし、知的分野で話が会う友達と文化を共有して、っていうような体験がいっさいなかったから。子供の頃や思春期に手に入れられた情報に、すごい差を感じたんだよね。Apple MusicSpotifyが中学時代にあったらなーって思うよ。

ー でも、仮に中学時代にApple Musicがあっても、まわりにどれだけ使って人がいるかってことですよね?

廣瀬:そうそう!共有できないんだよ。

ー 情報や体験の差、ですよね。東京だったら、近くのお店に行けば人に会えたり、ライブに行ってミュージシャンと話したりできますよね。でも田舎だと、そういう場やコミュニティがないから、個人で突き詰めていくことしかきっとできない。

廣瀬:そうだね。いいものを勧めてくれる大人も皆無だしね。

コロニアル

廣瀬:日本の歌謡曲を考えてみても、センスがいいことをやってるのは都会で米軍基地に近いところにいた人なんだよ。トロピカルな音楽って、洋楽的なセンスを突き詰めていくと、コロニアルな雰囲気になるじゃない?

しみず:コロニアル?

廣瀬:うん。欧米人が植民地の音楽をセンス良くやる、みたいな。
俺は、日本の音楽的教養の土台がアメリカだっていうことに反発心があって、もうちょっとちがうことがやりたいな、って思ってて。外国に呼ばれて音楽やってると、同じような反発心を持った人がアフリカや中南米の僻地にいるんだよ。ただちがうのは、彼らは完全に植民地だったわけ。日本は植民地みたいとはいえ実際にはちがうし、自分でも植民地を持ってたじゃない?たとえば台湾大学みたいな植民地時代の建物って、帝国時代の名残なわけですよ。日本人としてそこに行った時の甘苦さ。音楽をやるときに、その違和感をもっと突き詰めたいね。楽しいけどそれだけじゃない、欧米ではできないことをやりたい。

しみず:そういう違和感をKPMで表現してるんですか?

廣瀬:そうだね。だから、音楽をやってる中にも風刺的なものがほしい。ヨーロッパやアメリカ、先進国の人達って、日本のことを仲間だと思ってるんだよね。でも、我々は本当は葛藤しながらあなたたちに合わせて生活をしてるんです、っていうことは発信したい。洋服の着かた一つでも頑張ってきていまがあるわけで。音楽でも、日本語だとサウンドより言葉の意味が強くなってしまう難しさがある。そういう葛藤もわかってほしい。

キャラクター志向

ーやっぱり海外での演奏体験が大きいんでしょうか。日本で洋楽をやっていても、コロニアル、っていう発想はなかなか出てこない気がします。

廣瀬:そうだね。日本は特殊ですよ。たとえば音楽を楽しむ作法もちがう。外国のフェスに行くと、みんな踊って享楽的に楽しんでるんだよね。でも日本だと、お客さんはみんなじっと聴いてて、楽しんでるのかどうか判別しにくい。ただ、キャラクターには執着するんだよね。音楽というよりはキャラクターの消費に近い。

ー ボーカルが可愛かったら人気が出る、みたいなことですかね?

廣瀬:そうそう。だからトークが大事なんだよ。MCがこんなに重視される国もないと思う。海外だと、ステージで喋ると客が引いちゃうんだよね。日本は逆で、喋らないと引いちゃう。
ポルトガルのレゲエ・バンドの友達が日本に来て、一緒にライブ見に行ったら、日本の客は素晴らしい!って感心してるんだよ。ダンス・ミュージックやってるバンドなのに、喋っても客が帰らない、なんて思いやりのあるお客さんだ、って。

しみず:へー!

廣瀬:どこの国でも、バンドやる上でキャラクターは大事なんだけど、日本の場合はキャラクターへのシンパシーが8割くらいのような気がしちゃうんだよね()
そういう、いろんな国に行って演奏する中で感じる違和感を音楽の中に混ぜ込みたいっていう気持ちがあるんだよね。モヤモヤやイライラをそのまま出しちゃったほうがスッキリするんだよ。

違和感を表現する

KPMの音だけ聴いてると、メッセージが前面に出てくるような印象はないですよね。ダイレクトに政治的なメッセージを歌ってるわけじゃないし、サウンドもいわゆるレベル・ミュージックのような激しいものではない。

廣瀬 : 試みたことは何度かあるんですよ。昔のj-pop時代の押しチューンだった 『八月のさよなら』 は、レゲエ風のポップな曲だけど、アメリカへのラブレターと思って書いたんだよね。「ありがとう、さよなら」って。8月って、終戦記念日もあるしね。

ーバンドのサウンド面で具体的に意識することってありますか?

廣瀬:たとえば、日本人って低音が嫌いだなーって感じるんだけど、ウチらはその低音を思いっきり出すようにしてる。
あとは和楽器。2009年かな、当時ボーカルだったうちのかみさんが、神楽坂の料亭で三味線弾いて歌いはじめて、バンドでもそれ弾こうよって。三味線や箏って、バンドと合わせづらいのね。ひとつのキイしか演奏できなくて、曲の合間にチューニングを変えなきゃいけなかったりするから。でも、合わないもの、不便なものを入れたほうがいいって直感で思ってる。

しみず:和楽器もそうですけど、メンバーそれぞれのルーツをそのままどかんと出してますよね。パンデイロがいたり、バイオリンとシタールがいたり。ゴチャっと混ぜてドーンと出す、みたいなイメージがあります。けっきょく音楽って。パッと聴いたときがすべてじゃないですか。そこをちゃんと大事にしてるのがいい。考えてることとフィジカルな快感のバランスがしっかりしてる。

廣瀬:そういうバランスは大事にしたいね。

海外進出

ーそもそも、どうしてそんなに海外に行くようになったんですか?それも、モザンビークとか、日本のバンドがあまり行かないようなところに。

廣瀬:最初は、フォホー(ブラジル北東部の音楽)を台湾語でやった曲が話題になって、台湾のフェスに出たんだよね。
その後、スキヤキ(スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド。1991年より富山県で毎年開催されているワールド・ミュージックのフェスティバル。)のプロデューサーのニコラさんが、オーストリアのフェスに、KPMとサカキマンゴーさんのコラボ・ユニットで売り込んでくれたのね。そこで名が知れてヨーロッパの他のフェスからも依頼がくるようになったんだよね。アフリカもスキヤキの紹介で、スワジランドやモザンビークの、かなりイケてるキラキラ系フェスに出たのね。パリピがいっぱい行くような()。外国のフェスの人たちって、みんな次のネタを有名無名問わず探してるところがあるから、見た人がまた別のフェスに誘ってくれるっていうことが続いたんだよね。

しみず:そういうイベントはスキヤキみたいなものが多いんですか?ワールド・ミュージックのイベントの日本枠みたいな?

廣瀬: いや、たまにはそういうこともあるけど、基本はもうバンドとしてだね。日本は景気も最悪だし、出稼ぎみたいな気分だよ()。フェスに出てギャラをもらっても、短期的にはそんなに儲かるわけでもないんだけど、現地のラジオのCM音楽の制作依頼なんかも結構あるんだよね。アメリカの映画プロダクションが曲を使わせてくれって言ってきたこともあるよ。曲の版権も自分で持ってるから、いろんな意味で出稼ぎ感あるよね。

ー 海外に行きたいっていう気持ちは以前からありました?

廣瀬:あったね。日本語で歌って外国の人に聴いてもらうのが、若い頃からの目標だったから。俺たちは、歌詞の意味がわかんなくても英語やポルトガル語の曲を聴くじゃない?その逆ができないと悔しいっていう気持ちがあった。いま外国のフェスに呼ばれたり、音源を買って聴いてもらえてるのは、目標がかなった感じがするね。微妙な規模だけど()

しみず: 言葉がわからずともサウンドで伝わってる確信が持てるのは、うれしいですよね。

廣瀬:それは喜びだね。

ワールド・ミュージックとメッセージ性

しみず:コロリダスは、ワールドミュージックの、言葉がわかんなくても楽しいっていう部分をやりたかったんです。音楽でマッサージする、みたいな。「南米のみんなのうた」っていうイメージで、ポップに落とし込むことを意識して。歌詞も、誰でも歌いやすいように語呂をよくして、メッセージはあまり入れずに、日常生活の歌っていう感じで作ってます。あと、言葉が少ないほうが、意味を広くとってもらえるかもっていう感覚もあるかな。

ー言葉が少ないと、解釈の自由がありますよね。ワールド・ミュージックには、政治的な言葉を使えないから日常の言葉に意味を託す、ダブル・ミーニングを持った歌詞も多い。それって、当時その場所に生きてた人にしか全部は伝わらないかもしれない。でも、ちがう時代のちがう場所の人が聴いたときに、自分たちの問題とリンクさせて、ぜんぜん別の意味を発見するっていうこともあると思うんです。抽象的な歌詞って、そうしてどんどん広がっていく可能性を持っている。

廣瀬:直感で発した言葉のほうが時代を反映することってあるよね。だからポップスや大衆歌謡は強い。

 しみず:コロリダスでスキヤキに出た時に、グナワ・ディフュージョンのアマジーグが、トークショーで「ワールドミュージックはメッセージだ」 て言ってたんですよね。政治的なメッセージを強く考えてるんだなって、すごい印象に残って。でも、コンゴの電気カリンバのコノノNo.1の人とかは、「鳥が止まってるよ~」とかそのぐらいの歌じゃないですか()

廣瀬:アマジーグはアルジェリア系の移民の2世だからね。フランスで生まれて育ってるし、政治的にダイレクトなんだよね。でも、楽しいって言ってるだけでも、それはもうメッセージなんだよ。音楽に限らず、文化様式はすべて政治経済軍事の影響を受けて成り立っていて、それらのパワー・バランスが意味を持っちゃう。だから、存在だけでもメッセージになるし、全部がメッセージだなって思う。日本人の俺たちが洋服やあるいは和服を着てレゲエやってるっていうだけで、メッセージだからね。KPMの俺以外のメンバーも、Go Araiはシタール弾いてTaikuh Jikangでガムランもやってて、ドラマーの永田は在日ファンクっていうバンドでファンクやってる。ギターの大森先輩がグレッチ弾き倒す。ガチの箏曲者の浩恵ちゃんがダブをやる。それだけでメッセージ性があるよね。

しみず:なるほど。オブ・トロピークも各メンバーのバック・グラウンドはちがうけど、そこまで考えてはいないかな。インストで歌詞もないし。

廣瀬:オブ・トロピーク、よく聴いてるよ。ちょうど東アジア圏でシティ・ポップ的なものがライズ・アップしてきたよね。来なかった近未来、みたいな感じで。センスがいい洋楽を学んで教養もあるミュージシャンがそっちに行くのは、必然の流れだなって。でも、韓国や台湾にも知り合いのミュージシャンは多いけど、彼らは、才能や実力の如何は問わず、先進国のミュージシャンがやるようなトロピカルでメタ視点のセンスのいい音楽はなかなかできない。それは日本とアジア圏のちがいかなーって。俺たちは、ただ気持ちよくトロピカルを消費することもできるんだなっていう。良くも悪くも、それは植民地主義の時代を経た上での、過去の貯金ですよね。

しみず:うんうん。

明るく楽しいのが正しい

廣瀬:まあ、気持ちよければ何でもいいんだけどね()。たとえば今度のイベントで、最後に一緒に演奏するじゃない? KPMには台湾語の曲もあるし、ちがう言語で歌うのもいいなーと思ってるんだよね。朝鮮語で君が代を歌ったこともあるけど、まあ君が代をやってもね()。タガログ語とかいいかもね。

しみず:面白そう!

ータガログ語で歌う意味をその場で考えるお客さんって、多くはないと思うんですよ。でも、意味はわからなくても語感は新鮮だし、それだけできっと面白がってくれる。そういう、よくわかんないけど楽しい、っていう体験って、記憶に残るじゃないですか。そうすれば、10年後にふとしたきっかけでライブのことを思い出して、そこから何かを考えはじめる人もいるかもしれない。そのためにも、まずはとにかく楽しんでもらえるライブにしたいですよね。

廣瀬:そうだね。そういえば、一緒のバスでスキヤキに行ったとき、コロリダスのアレグリア(スペイン・ポルトガル語で「喜び」)な感じがうらやましかったんだよね。俺は享楽的であろうと意識してがんばってるんだけど、彼らは自然ていうか、躁状態ギリギリ寸前の3人組が隣にいるわけ()

ーだいぶ屈折してますね!()

廣瀬:やっぱ明るく楽しいのが正しいんだよ!()

しみず:楽しくいきましょう!

廣瀬拓音(ひろせたくと)

昭和56年岐阜県出身、東京都在住。熱帯ダンス歌謡楽団『キウイとパパイヤ、マンゴーズ』(ベース担当)、ブラジル北東部の伝統芸能マラカトゥ・ナサォンをベースとした打楽器集団BAQUEBAを主宰。広く国内外での演奏活動の他、TVCM、映画に向けた音楽制作から各種媒体での文筆活動まで。料理、野球(中日ドラゴンズ)盆踊り(郡上おどり)そして熱帯をこよなく愛す山男。

しみずけんた

音楽家。飲み屋。コロリダスのリーダーとしてボーカル、ギター、カバキーニョ、作詞&作曲を担当。チリンとドロン&しみずけんた、Love Samba DEESof Tropique、東京キャラバンに参加する他、ソロでの弾き語りでも活動中。CMや舞台などの音楽制作、楽曲提供なども行なっている。2018年熊本に路地裏音楽酒場きびきびを開店。

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岡本郁生(a.k.a.エルカミナンテ岡本)インタビュー
-ラテンは怖くない-

エルカミナンテ岡本。エルカミナンテとは、「旅人」「探求者」という意味だ。名付けたのは河村要助。伝説的イラストレーターであり、日本にラテン音楽を広めた重要人物のひとりだ。師匠がつけた名前だから捨てられない、と照れるが、ラテン音楽を愛しまっすぐに進んできた姿は、「探求者」そのものに見える。
of Tropique のキイワードのひとつは「ラテン」だ。ラテン音楽に造詣の深い人物として、ぜひ話を聞きたい。案の定、自身の音楽遍歴から、日本のラテン音楽シーンの流れ、ダンス教室文化ができた経緯など刺激的な内容ばかりで、予定時間を超えた濃厚なインタビューとなった。日が暮れゆく渋谷、音楽関係者も多く通うバー、Li-Poにて。

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“La Palma”製本担当 岩瀬学(図書印刷)インタビュー
– どんなアイディアも形にする、装丁のマエストロ –

「岩瀬さんならなんとかしてくれる」
「困ったら岩瀬さんに」
特殊な装丁のアイデアを形にするプロフェッショナルとして、業界でも独自の存在感を放つ、岩瀬学 。
祖父江慎、 町口覚など傑出した装丁家の、数々のエキセントリックな製本を手がけてきたことでも知られている。
『La Palma』の「飾れる本」というアイデアも、彼がいなければ実現できなかっただろう。
どうして現在のようなポジションにたどり着いたのか。
オークラ出版の編集者として共に3冊の書籍をつくってきた長嶋瑞木による、貴重なインタビュー。

[聞き手:長嶋 瑞木 / 写真:近藤哲平]

スナフキンみたいな存在

ー 岩瀬さんは、なんという肩書きになるんでしょうか?

岩瀬:いまは「製本コンシェルジュ」って名乗ってます。製本に関することなら何でもやりますよ、と。

ー 製本に関する相談役っていうことですか?

岩瀬:スナフキンみたいなね。ちょっと離れたところにいて、誰かが相談に来ると「こうすりゃいいんじゃない?」って言う。

ー おもしろいポジションですね。他にもそういう立場の人はいるんですか?

岩瀬:いや、いません。僕の前にもいませんでした。当時、製本に詳しい人間を東京に置いてクライアントへのフィードバックを速くしたかったらしく、僕が本社に呼ばれたんです。
それまでは、沼津工場で設備の仕事をしてたんです。製本機など機械の修理をしてました。溶接したり切ったり、楽しかったですね。

ー じゃあ、製本に1番詳しい人っていうことで選ばれて。

岩瀬:私より、たとえば工場長の方が詳しかったですけどね。やっぱり選ばれたのは嬉しかったですよ。
2~3年で沼津に戻されるかと思ってたんですが、こうして6~7年もやらせてもらえてるってことは、それなりの価値を認めてくれてんでしょうね。

ー 岩瀬さんがいるから図書さん(※図書印刷。岩瀬の勤務する会社。)に頼むっていうことがあるから、印刷会社としてのブランド力を上げてる気がする。出版社もそうですけど、会社の色や特色、ブランディングがないと生き残れる時代ではないと思っていて。私の中では図書さんは岩瀬さんだなと思ってるんですよ。

岩瀬:そう言っていただけるとありがたいです。

見たこともない機械を直す

岩瀬:会社に入ったのはバブル時代で、大学にはものすごい量の求人が来てました。一人につき100社ぐらい。会社見学に行くと食事付きでしたよ。人数足りないからって呼ばれて、飯だけ食いに行くこともありました。

ー 本を作りたかったんですか?

岩瀬:もともと映像がやりたかったんですよ。会社案内に「映像制作」って書いてあったんです。でも入ってみたら工場勤務になって、それまで見たこともなかった機械を直したりしてました。ただ、こっちも大して考えてませんでしたけどね。サラリーマンとは違う、普通じゃない仕事がしたいなと思ってたんですよ。だから、ゲーム会社も受けましたし。ゲームなんて作ったことないのに(笑)。もちろん受かりませんでしたけどね。
それと、東京に住んでみたかったんです。生まれが名古屋で大学は静岡だったんで、一度は東京に住んでみたいと思ってこの会社を受けたんですよ。でも受かってみたら静岡勤務だったという(笑)。
結果として良かったですけどね。やっぱり現場での経験が、いまに活かされてますから。製本屋のおやじと話が合いますよ。あの機械のあそこのギア壊れやすかったよね、 なんて言って。

ー そこまでわかる人は確かにいないでしょうね。印刷会社って、現場の人や職人さんとどれだけ話ができるかが重要だと思うんです。職人さんが岩瀬さんに気を許して対等に話ができるのは、そういう理由だったんですね。

岩瀬:詳しいのは僕だけではないんですが、得意先に近いところまで出てくる人は、あんまりいないですね。

ー たしかに、現場の近くにいる岩瀬さんみたいな人に直接相談ができるのって、私が知っている限りでは図書さんだけですね。凝った製本になってくると、営業さんだけが窓口だと、話がなかなかスムーズに進まなかったり、「できない」理由を教えてもらえなかったりしますもんね。

岩瀬:ウチも基本的には、出版社とやり取りするのは営業担当です。ただ、やっぱりワンクッション置くと伝わらない場合もあるので、営業担当に呼ばれればいつでも行きます。

サッカーゲームでハードボイルド

ー 映像がやりたかったということですが、映画が好きだったんですか?

岩瀬:学生時代には、映画を作っていました。静岡大学の映画研究部は、僕らの代が作ったんですよ。

ー えー!見たい!タイトルは?

岩瀬:いやいや。『オーレ』ってやつですけど。

ー どんな話なんですか?

岩瀬:ハードボイルドです。 酒場で勝負する話。酒場での勝負って、だいたいカードじゃないですか。でもカードだと本格的すぎると思って、サッカーゲームで勝負するっていう。

ー え!サッカーゲームでハードボイルド?

岩瀬:まあ、ふざけたやつですよ。勘違いしたハードボイルド(笑)。でも、思っていたクオリティにはならなくて、喜びと悲しみが半々でした。

ー 他にも撮ったんですか?

岩瀬:その前にもう1本撮りました。学園で起きた事件を部員たちが解決する、っていう、よくある話ですよ。みんな死んでくのが見せ場です。

ー え?

岩瀬:10分ぐらいの映画で、登場人物を紹介した後すぐに、みんな死ぬんですよ。

ー え!10分でみんな死んじゃうんですか?

岩瀬:死にます。

ー どんな映画ですか!(笑)

岩瀬:学園で怪事件があってみんな死んでく、っていう。 それで、死んでいくシチュエーションは自分で考える。自分の見せ場なんだから、もう死にたいように死ね、と(笑)。

ー 斬新(笑)。じゃあ、好きな映画はどんなのでした?

岩瀬:侍映画と西部劇が好きでした。80年代ですから、すでに西部劇は斜陽で過去のものだったんですが、映画をいろいろ教えてくれた人が(クリント・)イーストウッドのファンだったんです。あとは三船敏郎。だから映画は古いものしか知りません。

ー 本はどうでしたか?

岩瀬:本も好きでしたが、読むものは限られてました。SFか、映画に関する本か。

ー 映画の解説とか?

岩瀬:そういうのも好きでしたよ。専門的なものは読まなかったですけど。キネマ旬報より映画秘宝。くだらないものが好きでしたね。高尚な映画は苦手で。タルコフスキーも見たけど、寝たし(笑)。
でも、たいして見てませんよ。いちばん見たときだって年間100本超えてないですから。見てる人は300本、400本て見てるし、しかもそれが楽しい、っていう。まあ、そういうところで、映画は違うなと思ったんですね。

印象深い仕事

ー いままで手がけた装丁で、印象深いものを持って来てもらったわけですが。

岩瀬:では、まずはこれ。

『Daido Moriyama: Dazai』(ブックデザイン:町口覚)

ー 出た!これはやばいですね。

岩瀬:太宰(治)の文章と森山大道の写真を組み合わせた本です。 紙の上から特殊なフィルムを貼ってます。透明なフィルムの上に、繊維が植わってるんです。


ー 紙の断面がふわふわ。これは、どういう依頼だったんですか?

岩瀬:最初は、全ページそれぞれ形を変えたいって言われたんですよ。ページごとにぜんぶ変えたいって。でも金がかかりすぎるんで、なんでそうしたいのか理由を聞いたんです。そしたら、断面に表情が欲しいって言うので、こういう方法を提案したんです

ー これは前にもやったことがあるんですか?

岩瀬:ないです。並製本の背中を切る「ミーリング」をした本というのはあったんですけど、これは「ファイバーラッファー」っていう、細かい歯が入る加工です。それを使って試しに束見本(※サンプル版)を作ってみたら、気に入ったらしくて。パリに持っていったら大受けだったそうです。

ー 岩瀬さんが思いついた提案がデザイナーさんに通って、パリに渡って認められたって、すごいですよね。やっぱり、理由を聞いて「じゃあこんなのは?」っていう返しができるのが岩瀬さんの魅力ですね。

岩瀬:もちろん、全てに対応できるわけではないけど、出版社や作り手のやりたいことを聞いて、持ち帰って、知ってる加工を思い出したり、機械のことを思い出したりして考えます。「こうしたらどうなるのかなー」って試行錯誤して、束見本をつくりながら。失敗することも多いですけど(笑)。

ー この本、箔もがっつり押されててかっこいいですね。

岩瀬:これはカラ押し(素材に熱と圧を加え、くぼみだけで表現する技法)なんです。繊維が邪魔して色が乗らなかったんですよ。カラ押しも、限界まで深く押してる。町口さんは立ち会いにいらっしゃって、部分ごとに別々に押せって言われて。面積が狭い方が深く押せますから。それを現場に伝えたら、えー!って言われて。「 別でやんの?」「 ちょっと強く押したいんだよ」「 一気に押させてもらえませんかね」「いやーそこをなんとか」って。

DICカラーデザイン㈱ 創業110周年記念いろどりノート

岩瀬:これはモレスキンみたいな上製本で、クロス(布)ですね。オフセット印刷できるクロスがあるんですよ。普通、クロスには箔押しかシルク印刷しかしないんです。これも印刷屋泣かせなんですが。

『Présage』石橋英之

岩瀬:これは、ベルベットPPっていう風合いのいいフィルムなんですよ 。

ー べルベットPPの上に箔を押してるんですか

岩瀬:そうです。これだけの面積の箔を押すっていうのも、まあ怖いんですけど。

ー 質感がいいですねー。写真集ですか?

岩瀬:開く写真集なんですよ

ー おー!

岩瀬:見開きで見るとノドがあるじゃないですか。それが嫌だったらしいんです。 全体の1/3がこの仕様になっています。

オークラ出版と

岩瀬:長嶋さんとも、いろいろやりましたね。『みんなの映画100選』のときが最初で。このページ数と紙の厚さでコデックスやるのは、うちでもやったことない仕様だったので、何回も束見本を出して耐久性を見てみて。あと、表4(背表紙)の文字を、ぜんぶ箔押ししたんですよね。

岩瀬:これは、知ってる人に見せると、おー!って言いますね。書店に並ぶと、やっぱり風合いがいいですよ。全面に箔ってのは費用もかかるので、なかなかないですしね。豪華な1冊になったと思います。あのときも長嶋さんから、箔をなるべく強めに押してくださいって言われたなあ。

ー これは大変でしたね(笑)。岩瀬さんが嫌がりそうなお願いもけっこうあった気がします。でも、快く向き合っていただいた覚えがありますね。もちろん、本としての中身がおもしろい自信もありますが、デザイナーと岩瀬さんのおかげもあって、あの本ができたと思います。

岩瀬:今回の(“La Palma”の)場合は、最初から「立たせたい」ってことでしたね。シンプルな構造で立つようにしたい、と。それで、制作メンバーというか、著者の方々ですよね、みんなで話し合って、意見をいただいて。作り手の人たちの意見を直接聞けたので、持ち帰っていろいろ考えることができました。
ハードカバーを二重にするっていう製本を新しく考えたんですが、足になる外側のカバー部分を固定できなかったので、最初は乗り気じゃなかったんですよね。

ー 束見本を作っていただいたんだけど、そのとき岩瀬さん、すごい曇った表情でしたよね(笑)。固定できないから難しいかもって言いながら、不安げに束見本を出してくれて。そこからまた、デザイナーをはじめとするof Tropiqueの方々とみんなで相談して。ああでもないこうでもないって言いながら、穴あけたら固定できるんじゃない?ってカッターでその場で穴を開けてみたりして。他にも挟む、折る、とかいろんなアイディアが出ました。

岩瀬:表紙が二重っていうのは僕も聞いたことがないですよ。いい感じで終わって良かったです。こうやって、やりとりを重ねながら、自分が出した案にさらに案を付け加えてもらって製本が生まれるのは、すごく楽しいですね。

ー 今回、新しくイチから作ってもらったわけじゃないですか。そういうのって年に何回くらいあるんですか?

岩瀬:そんなにないですよ。やっぱり、普通よりちょっと凝ってる、っていうものが多いですね。イチから考えるのは、年に1〜2回だと思います。

岩瀬:過去に例がないものを作ると、納品まで問題なくいけるかという不安が常にあります。途中までうまくいっていても、わずかな条件の差で不良品に変わってしまうことがあるんですよ。危ない点が100個あったとして、100個ぜんぶを相手に伝えられるか。そうやってがんばって形になると、やっぱり誇らしいし、さらに相手が喜んでくれたら一番ですね。
今回は、提案したものが形になったので、嬉しかったですよ。ほぼゼロからでしたからね。やっぱりこういう本が売れてくれると、喜びもひとしおです。人に見せたりもしますし、知り合いが持ってたりすると、語っちゃいます。「実はこれはさー・・・」みたいな話を長々と(笑)。

ー いやー無事に出来て良かったです。これで岩瀬さんとは3作目ですね。

岩瀬:いいもの続けてつくれてるんで、こっちも楽しいですよ。今後もおもしろいものをやっていけたらいいですね。1年でできたんで、次の1年でもう一冊できますよ!(笑)

岩瀬 学

図書印刷株式会社、製本コンシェルジュ/シニアマネージャー。1989年図書印刷入社以来、製本技術に携わる。2010年より製本に関するご相談や要望に応えるコンシェルジュ活動を展開中。

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坂口修一郎(Double Famous)インタビュー
– 大事なのは、匂いを嗅ぐこと –

しみずけんた(左)  坂口修一郎(右)

東京発エスペラント音楽集団Double Famous。1993年結成。無国籍インスト・バンドとして、今年で結成25年。世界中のローカル・ミュージックへの愛にあふれたサウンドが、多くの音楽ファンを魅了し続けている。of Tropiqueと方向性も近く、インスト・バンドとしても大先輩だ。流行とは距離を置いた音楽性を保ちつつ、どうやって長年バンドを続けてこれたのか。
バンドのスポークスマン・坂口修一郎に、of Tropiqueの母体となったコロリダスの頃から親交のあるしみずけんたが、話を聞いた。

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Disk Unionラテン/ワールド部門担当 鈴木庸介インタビュー
– クラブ・シーンのど真ん中でラテンが花開く –

オブ・トロピークのキイワードのひとつは、「ラテン/トロピカル」だ。しかし、ラテン/トロピカル・ミュージックとは何かと聞かれたら、答えるのは難しい。あまりにも多くの国の音楽、あまりにも様々なリズムを内包していて、ひとことで表すのは不可能にすら思える。調べてみても、明快な説明にはお目にかかったことがない。
「ラテン鈴木」と呼ばれる人物がいるらしい。ラテン音楽を得意とするDJとしてクラブ・シーンで活動し、現在はDisk Unionに勤務しながら現在進行系のラテン音楽を精力的に紹介しているという。広い視野を持った、若く、とんがった、熱い男だと評判だ。ラテン/トロピカル・ミュージックを理解する手がかりが得られるかもしれないと、話を聞くためにDisk Union本社へ向かった。

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Exotico De Lagoリーダー 長久保寛之インタビュー
– 本質は「無駄」の中にある –

エキゾチカと言えばこの人、長久保寛之。国内屈指のエキゾチカ・バンドのリーダーにして、個性派ギタリスト。of Tropique の最初のレコーディング・セッションでも、センスあふれるギターとベースを披露してくれた。

“ぼっちゃん”を知ったのは、光風(みつかぜ)&グリーン・マッシヴのギタリストとしてだった。レゲエ/ロックステディのミュージシャンだと思った。だから、多重録音によるソロ・アルバム “Rock Exotica Steady” を聴いたときは驚いた。ただのロックステディではない。音楽の「型」を突き抜けて、「エッセンス」が聴こえてくる。それを「音楽愛」と呼んでもいい。偶然このアルバムを耳にした曽我部恵一(サニーデイ・サービス)が自身のレーベルからのリリースを即断したというほどの、隠れた傑作アルバムだ。どんな人なんだろう。どんな音楽を聴いてきたんだろう。

なんと若い頃は、ルーツ・ロック・バンド、カリフラワーズのメンバーでもあったという一筋縄ではいかない個性は、どこからきたのか。逗子のビーチハウスSurfersで、ハンバーガーをほおばりながら、音楽遍歴を語ってくれた。

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of Tropique メンバー、近藤哲平インタビュー
– 「驚き」を追い求める、特異なクラリネット奏者 –

近藤哲平は変だ。ある日はサザン・ソウル、ある日はムード歌謡、ある日は寄席でも演奏する。一般的な「クラリネット奏者」のイメージとは、およそ似ても似つかない活動ばかりだ。かと思えば、実はニューオリンズ大学で音楽を4年間学んだ経歴を持つ。そして今度はエキゾチカ・バンドのフロントに立ち、本を作ってしまった。どういうことなのか。東長崎クレオール・コーヒー・スタンドで、壁にかかる輸入レコード盤に囲まれながら、話を聞いた。

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“La Palma” ビジュアル担当 オタニじゅん インタビュー
− 「どこか変」な世界を描くわけ −

音楽と絵のコラボレーションで架空の南の島を描く、空想トラベルブック『La Palma』。飾れる本という斬新な発想が目を引くが、音楽も絵もかなり個性的だ。

洗練された描線の中にどこか奇妙な感覚を宿すイラストレーションを手がけたのは、オタニじゅん。フリーのデザイナーとしての活動と平行して、ラテン界隈のイベントのフライヤーを手掛け、その独特のタッチには長年のファンも多い。だが、それらは言ってみれば裏方仕事。いままで彼の名前が前面に出る機会は限られていた。

今回の『La Palma』が、実質、初の作品集だ。にも関わらず、これまでの手描きのスタイルから一転、デジタルでの制作へと踏み出した、知られざる個性派に迫るインタビュー。

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