田中馨(けい)の満を辞してのリーダー・バンドHei Tanakaの音は、喜びと確信に満ちている。同じインスト・バンドとして、刺激を受けずにはいられない。決してメインストリームではない独特の音楽性にも共感する。一緒にやってみたい。話を聞いてみたい。
インタビューは、多摩川上水にあるロバハウスという一風変わった建物で行われた。ここは、古楽器や創作楽器を使って全国の子供達に向けた演奏活動を行っている『ロバの音楽座』の拠点だ。建物内にはコンサートが開けるスペースもあり、谷川俊太郎や山下洋輔なども出演する。田中のバンド仲間であり妻である松本野々歩(ののほ)は、『ロバの音楽座』のリーダー松本雅隆(がりゅう)の娘であり、現在ふたりはロバハウスのすぐそばで暮らしている。ロバハウスに並べられた世界中のめずらしい楽器たちに囲まれて、自家製ハーブのお茶を飲みながら、ゆったりと話を聞いた。
[取材・写真 / 近藤哲平]
『ぼ~ん』
ー『ぼ~ん』、だいぶアヴァンギャルドですねー!でも、王道のサウンドではないけれど、楽しく聴ける。「難解」って形容詞は似合わないし、複雑さが先に立つ印象もありません。
田中:やりたかったのは、めちゃめちゃ複雑だったり、変なことやってんなーってことじゃなくて。たとえばラジオで流れて、たまたま聞いた人が「なんかおもろいやん!」ってなったらいいなーって思って作りました。
ーそういうの、いいですね!日本て、メイン・ストリーム以外の音楽に触れる機会がとても少ないと思うんですよ。好き嫌いの前に、出会いがない。Hei Tanakaみたいなバンドが受け入れられていけば、町に流れる音楽も多様化して出会いも増えるかも、って期待します。
田中:やっと1枚出せただけなので、これが世の中に広まれば、ですけどね(笑)。
田中:Jpopだったり、今の日本のメイン・ストリームでやってる人たちにも負けたくないなーってすごく思います。それもあきらめちゃダメだなって。
ー実は変わった音楽性であればあるほど、そういう意識は大事なのかもしれませんよね。音楽性を追求するあまり、リスナーと距離ができてしまうバンドもいるし、そうすると孤立していって、活動が難しくなる。Hei Tanakaは、絶妙なバランスのバンドだと思います。
『ぼ~ん』はカクバリズムからの発売ですが、アルバムを作る際に、レーベル側から提案もありました?
田中:何もなかったかな(笑)。任せてもらいましたね。
ーすばらしいですね!音楽業界、まだまだ望みありますね(笑)。
パンクからモンドからザッパまで
ー音楽は複雑なのに、やけに勢いがあるじゃないですか。歌なんかまるでパンクみたいで、すごく面白いです。
田中:中、高とパンク・バンドやってたんで、そういうものへの憧れはあると思いますね。そのころはベースと、歌も歌ってました。ボーカルのときは、声がでかすぎて、音がぜんぶ割れる、っていう感じでしたけどね(笑)。
ーちなみに、どんなバンド聴いてたんですか?
田中:パンクのバンドだと、コークヘッド・ヒップスターズ。
有名なところだと、バックドロップ・ボムやブラフマンとかも聴いてました。中学生の頃は、ピーズ派かカステラ派があって、けっこうみんなピーズが好きだったんですけど、なぜか僕はカステラが好きで。ボ・ガンボスとかソウル・フラワー・ユニオンも好きでしたね。
ーひねくれたバンドばっかりじゃないですか!(笑)
田中:高校生になるとアナログ(=レコード)を買いはじめて、古い音楽も聴くようになりましたね。あと高校3年生くらいかな、『モンド・ミュージック』の影響で世界のいろんな音楽を聴くようになりました。まだ情報がない時代だし、あの本は読み漁りましたね。作ってる人たちの「これおもろい!」っていう熱量がすごい。
ーたしかに。いまだに、モンド/エキゾチカを扱った本であれを超えるものはないですよね。
あと個人的には、以前のツアー・タイトルに(フランク・)ザッパの名前を使っていたのが気になりました。
田中:実は、ザッパの音楽自体がすごく好きなわけじゃないんです。あれだけの音楽をやってるのに、ステージではただのエロいおっさんに見えるところが、キュートで好きなんですよ。でも、お客さんに「ザッパ感じました!」って言われたら、それは素直にうれしいですけどね。
狙ってやれない音楽を、なんとなくやってみた
ー僕は、ザッパの盟友の(キャプテン・)ビーフハートを連想しました。特に、ギターのフレーズやサックスに、近いセンスを感じましたね。
田中:それはうれしいですね!ビーフハートはめちゃめちゃ好きだけど、あれこそ狙ってやれるもんじゃないですからね。
ーHei Tanakaも、狙ってやれないですよ。楽器編成からして、普通のバンドじゃないですし。 どうしてサックス3本なんですか?
田中:もともと、サックスっていう楽器があんまり好きじゃなかったんですよ。ジャズにはいいのかもしれないけど。
ーたしかにサックスって、ジャズやソロ楽器っていうイメージが強いです。歌モノでも、おしゃれな合いの手を入れる、っていう役割が多いし、ホーン・セクションだとトランペットの方が目立つし。
田中:逆に、あえて好きじゃない楽器に囲まれてみたら面白いかも、って思ったんです。サックスが10人くらいいたらどんなになっちゃうんだろうとか妄想したりしていました。
ーサックス3本も、セクションとしてではなくて、それぞれ独立したパートとして動いてますよね。それぞれのパートも、馨さんが考えてるんですか?
田中:そうですね。最初は僕が全部打ち込みして譜面書いて渡してます。高尾のワクワクビレッジっていう市民施設を12時間くらい借りて、自分のパートをそれぞれ4時間くらい個人練してからみんなで合わせる、っていう合宿みたいなことを最初の頃はやってました。
ーあれ、譜面あるんですね。
田中:譜面、ありますよ(笑)。
ー曲によって構成もさまざまですよね。展開が多い曲の場合、どうやって作っていくんですか?
田中:インスト曲を作る時は、まずストーリーを考えます。たとえば、南米のどっかの遺跡のまわりの、まだ文明と出会ってない民族のお祭りで起こったことだな、とか。もちろん全部フィクションだし、音楽的に向こうのリズムはこうだから、ってやってるわけじゃないんですけど。
ーいわゆるワールド・ミュージックも参考にします?
田中:ワールド・ミュージックも好きですよ。新年にトルコに行ってきたんですけど、そこでもレコードやテープを買ってきました。出会うのが好き、みたいなところがあって。僕の知らないところで暮らしてる人たちの日常の音楽を、知識なく買って聴くのが面白いんです。音楽的にびっくりすることがたくさんある。
ーあと、以前と比べて、歌モノが増えましたね。
田中:歌モノを作ろう、って思ったわけじゃなくて、アルバムを作ってるうちに自然に増えていった感じです。たとえば楽器のソロについても、最初から決めずに、楽曲やステージが豊かになりそうだと思ったらソロを入れる。そういう作り方だから、時間がかかるんです。2年ぐらい作ってましたからね。
ー2年て、けっこう長いじゃないですか。バンドが解散することだってあります。メンバーも変わってないんですよね?
田中:変わってないですね。
ーライブはけっこうやってたんですか?
田中:1年目は各地でライブをやってましたね。そもそも、最初はライブをすることしか考えてなくって。CDを作るのって、またちがう運動神経が必要だし、そのことを考えてるヒマがなかったんですね。音源にすることを考えながらやってたらうまくいかないだろうな、って思って。6人で舞台に立ったときに、Hei Tanakaとしての答えにたどり着くための曲をつくって、そのためにみんなとの時間を使う、っていう。
ーバンドをやりたい、っていう欲望はあったんですか?
田中:いや、なかったですね。Hei Tanakaは、ショピンで日本大学の学園祭に出たときに、企画してた仲原くんていう人から、馨さんソロやった方がいいですよ、って言われたのを真に受けてはじめたんです。なんとなく、やってみたら面白いかなと思って。
ロバハウス
ーHei Tanakaの、ひとことでくくれないような音楽性って、ロバハウスの環境も影響してるのかな、って思います。これだけの楽器が身近にあるってすごい。世界の音楽のミニ・ライブラリーのようなものだし、日常的にいろんなめずらしい音楽に触れながら生活するわけじゃないですか。
田中:そうですね。雅隆(がりゅう)さんと、レコード聴きあったりもしますしね。
ー雅隆さんは、音楽の歴史を研究したり楽器を作ったりもしてるんですよね?
田中:そうですね。でも雅隆さんて、研究家目線じゃなくて、すごく無邪気なんです。もちろん、とっても深い知識を持っているけど、そんなことより「面白い音出るんだよね~!」みたいな、少年が面白いもの見つけたときみたいな体温で話せるのが楽しいですね。
ーへー!いいですね。長年子供たちを相手に演奏してるっていうこともあるんでしょうかね。堅苦しいと子供はひいちゃいますし。馨さんも子供向けの演奏やってますけど、それって野々歩(ののほ)さんの存在も大きいんじゃないでしょうか。もし野々歩さんと一緒にいなかったら、子供向けの音楽もやってなかったかもしれませんよね。
田中:やってなかったと思います。野々歩のお父さんの活動を知るまでは、音楽ってバンドやるしかないと思ってました。子供たちに向けての音楽ですが、何かに迎合することなく、本当に喜びとしてやってる。しかも子供たちを取り巻く世界にちゃんと響かせるって、けっきょく同じことをやってるんじゃんって。そんな音楽のやり方があるんだって知りませんでした。
ー僕も、小学校とかに、それこそロバの音楽座みたいな団体が演奏に来た記憶はなんとなくあります。でも、そういう人たちの存在は、ぼんやりと想像してただけだし、選択肢もなかったし、そういうミュージシャンと出会うこともありませんでした。馨さんの経験は貴重ですよね。
田中:僕が知らなかったように、たとえばバンドやってたりすると、バンドってこうやるもんだろう、って決めてる人も多いんじゃないかと思います。音楽やる、有名になる、食ってく、ってこういうことだろう、って。だから、いろんな選択肢があるってことを、まわりにも共有していけたらいいなと思います。
ーいまでも、ライブ・ハウスにノルマ払うのが当たり前と思ってる人たちもいますからね。
田中:食ってくっていうことだけじゃなくて、やり甲斐っていう意味でも、いろんな角度があるなって思うんですよね。以前、お芝居の音楽で、舞台で僕一人で演奏することがあったんです。そのときは、演出家さんに何か投げかけてもらって僕が答えるっていう作業の繰り返しで、すごいいっぱいやり取りをして。答えを探している様な冒険感と、一緒に作る喜びがありましたね。それまで、音楽やっててこんなに何かを投げかけられたことってなかったんです。そういう作り方があることを、知らなかった。めちゃめちゃ大変でしたけど、その先の喜びも知れました。
田中馨という「現象」
ー舞台の音楽をやったり、チリンとドロンでは子供に向けて演奏したり、いろんな場所でいろんな人たちを相手に音楽をやってますよね。
田中:それでも、ちがうことをやってる気持ちはなくって、Hei Tanakaも同じライン上にある感覚なんです。ライブや劇場に足を運んでくれた人たちに対して、簡単なことを言えば、来てよかったな、って思ってもらいたい。チリンとドロンは特にそうだし、舞台の音楽もそうですね。その経験は、Hei Tanakaにも生きてます。俺がベース弾かなくてもいいし、そこにいなくてもいい。田中馨を見てもらわなくてもいいんです。そう思ってると、いろんなことが捨てられる。こうやりたい、こうなりたい、こう見れらたい、っていうものが薄れてくるんです。経験値が邪魔になることもありますからね。
ーこうやったら盛り上がるだろう、みたいなことですか?
田中:そう。それを毎回捨てれる覚悟ができたというか。毎回まっさらで、気持ちだけがずっとあるというか。同じ客は二度といなくて、同じ会場は二度とないので、日々更新していかなきゃいけないですから。
田中:いまのメンバーでやり始めてすぐくらいに、SNSで「Hei Tanaka 見たけど音楽的に何もなかった」みたいな事を書いてる人がいて、それが妙にうれしかったんですよ。「何もない」っていうことをやった、っていう喜びがすごくあって。微妙なバランスで成功したと思ったんです。
ー小泉文夫の本の中で大好きなエピソードがあるんです。エスキモーがクジラか何かを獲るんですが、一人では無理なので、何人かで捕りに行くんですね。そして、獲れたら喜びの歌を歌うんだけど、3人いたらそれぞれが全く別の歌なんです。僕らの感覚からすると音程もリズムも違ってぜんぜん合ってない。でも彼らは、みんなで一緒に歌ってる、ってことが喜びなんです。批評や評価ってものがなくて、「一緒に歌う」っていう行為自体を受け入れる素直さがすばらしいな、と。Hei Tanakaの音楽にも、そういうシンプルな喜び、っていうものを感じます。
田中:行為、っていうのは、ただの現象であって、何もないのと一緒ですよね。それは理想なのかもしれないな。
ーHei Tanakaは、馨さんの感じることが投影された「現象」なのかな、って思います。
田中:そう言われると、よく2年も「現象」目指して続けてきたなーって思いますね。
ーその「現象」の一部でいることが、きっと気持ちいいんでしょうね。でも、もしバンドに入ってくれ、って誘われたら、ものすごい躊躇すると思いますけど。
田中:それ、いろんな人に言われます(笑)。
田中馨(たなか けい)
得意なのはコントラバスとエレキベースと曲作り。2011年まで、SAKEROCKのベーシストとして活躍。
2019年自身がリーダーのHei Tanakaの1stアルバム「ぼ~ん」がカクバリズムからついにリリース!ベース、ドラム、ギターにサックス3 人から歌ものあり、インストありの、エネルギーの塊のような楽曲とそれぞれの態度で、音楽に振り回され続けた先にある様は泣けて笑える、最後は大きなクエスチョンのお土産付き
そんなライブは必見!各地で話題沸騰中。
そのほか、赤ちゃんと楽しむ 世界の遊び歌 わらべ歌を演奏する「チリンとドロン」子ども遊びを通して新しいパフォーマンスを考える「ロバート・バーロー」幅広い層に人気のアコースティック デタラメ うたものユニット「ショピン」を軸に「トクマルシューゴ」や「川村亘平斎」「オオルタイチ」など類稀なる最高なミュージシャン達との活動で数多くのフェスや海外ツアー、音楽の場にとどまらず色々なプロジェクトに積極的に参加させていただいている昨今。
舞台の音楽を担当を担当することも多く、ペンギンプルペイルパイルズ主催の倉持裕の作品や劇団はえぎわ主催のノゾエ征爾の作品に多く関わる。
代表的な作品は
- 2010年 二人芝居「Griffon」森山未來×菊池凛子+Levi’s
- 2011年「ヴィラウランデ青山~返り討ちの日曜日」企画:竹中直人×生瀬勝久
- 2013年 北九州芸術劇場リーディングセッション vol.22「続・世界の日本人ジョーク集」
- 2015年 東京芸術劇場 「気づかいルーシー」 原作:松尾スズキ/脚本・演出:ノゾエ征爾
- 2016年 Parco劇場「ボクの穴、彼の穴」 原作:デビット・カリ/訳:松尾スズキ/脚本・演出:ノゾエ征爾
- 2017年 北九州撃術劇場「どこをどうぶつる」構成・振付・出演:森下真樹,大植真太郎,田中馨
- 2018年 Parcoステージ「命売ります」原作:三島由紀夫/脚本・演出:ノゾエ征爾
そんな0才から神様までを相手に創作活動する経験を生かして、ライブハウスや各地のフェス、舞台作品、現代美術、こども達。数多くの面白そうな現場に節操なく現れて、かすかな波紋を呼んでは消えていく。ちょっと不思議な田中印の活動は今の日本の中でとても貴重で稀有だと評価する人もいるとかいないとか。
http://www.tanaka-kei.com/