東海林毅インタビュー
– クイアな映画を録ってやる –

新曲 “Woooo” のMVを作った東海林毅は、僕(近藤:of Tropiqueクラリネット担当)の旧友です。出会ったときは、お互いまだハタチ前後でした。僕は映像をやっていて、彼はまだ学生で、撮影か何かを一緒にやったのかよく覚えてないけれど、近くにいたのは数年の間。それから僕は音楽を始め、お互いに会うこともなくなりました。昨年、MVの映像合成について相談しようと連絡を取ったのが、約20年ぶりです。
そして、東海林がMVを作り、彼の短編『帰り道』に僕らが音楽を付けました。そんなにも古い友達とまた一緒にやれるなんて、心から、とても嬉しい。けど、20年です。あらためてインタビューという形で、東海林のこれまでの話を聞きました。距離が近いからこそ話は深くなり、1万字を超えるボリュームに。四ツ谷の名物アジア料理店「稲草園」での、友人同士のざっくばらんな会話の記録です。

金沢のオタク

近藤:東海林って、生まれどこだっけ?

東海林:金沢。武蔵美に入るまでずっと向こうにいた。
最初は、絵を描いてたんだよね。小学校のとき絵画教室に通って水彩と油をやってた。

近藤:そうなんだ!小学生で油絵やってたの?

東海林:そう、小6までね。中学に入ってからは、ちょっと萌えっぽいオタクっぽいイラストを描くようになって。オタク文化が百花繚乱だったんだよ。でも、宮﨑勤の事件(※当時26歳だった宮崎勤による連続少女誘拐殺人事件。宮崎の部屋から大量のアニメ雑誌やビデオが発見されたことで、「オタク」に対するネガティブなイメージが広まった。)があったりしてオタクが叩かれてた時代だし、人に知られてはいけない趣味だと思ってたね。


近藤:そうだよね。まだオタクって、いじめとまではいかないけど・・・。

東海林:うん、まだぜんぜん認知されてなくて、気持ち悪がられる人種だったよね。だから人知れず描いてた。


『コマンドー』と『デリカテッセン』

近藤:映画は?俺らの小学校の頃って、スピルバーグが全盛だったじゃん。あとシュワルツェネッガーとスタローン。

東海林:そうだね。僕は人生でいちばん繰り返し見てる映画はたぶん『コマンドー』だと思う。


近藤:マジで?俺、シュワルツネッガーむちゃくちゃ好きだったんだよ!『ツインズ』も劇場に観に行ったし、テレビの 「洋画劇場」でアクションものはぜんぶ見てた。昔は週4日は何かしらやってたよね。
(※当時の東京圏では、木曜〜日曜の21時に、各局ごとに映画番組が放送されていた。『木曜洋画劇場』解説=木村奈保子、『金曜ロードショー』解説=水野晴郎、『ゴールデン洋画劇場』解説=高嶋忠雄、『日曜洋画劇場』解説=淀川長治)

東海林:いや、うちらのとこってチャンネルが少なくてフジ系とTBS系だけだから、高嶋忠雄のゴールデン洋画劇場しかなかったんだよ。水野晴郎のやつが僕が高校のときに映るようになって、淀川長治を見たのは上京してからだから。

近藤:へー、そうなんだ!まあでも中学くらいになると、深夜にやってるのも見るようになるじゃん。俺はとりあえず全部ビデオに録って片っ端から見てて、その中に、ウディ・アレンの『私の中のもうひとりの私』があったんだよね。それまで見てたハリウッドものと全然違って衝撃だった。暖色系のあったかい色味で、画面の質感自体からして違う。音楽も、ウディ・アレンは古いジャズを使うじゃん。あの映画はサティ(※エリック・サティ。フランス印象主義の作曲家。)使ってるんだけど、室内楽的なしっとりした感じで、ハリウッドのオーケストレーションの派手さとは違う。とにかく全部のテイストが、それまで見てた映画とまったく別物だったんだよね。

東海林:最初に衝撃を受けた映画ってあるよね。僕はジュネ&キャロの『デリカテッセン』を見て、ああこんな映画があるんだ!って思った。


東海林:『EX(エックス)テレビ』っていう深夜番組で取り上げられてて、変な映画!って思ったんだよね。金沢って、単館系の映画は根本的にやってないんだけど、金沢大学の映研が、ときどき東京から単館系のフィルムを借りてきて、映画館で上映会をやってたのね。高校のときかな、そこで『デリカテッセン』を上映するって知って、見に行ったんだよ。そのときのチケットいまだに持ってるよ。手作りで印刷したやつ。そこからようやくヨーロッパ映画に目が向いたかな。

近藤:ヨーロッパ映画にいつ出会うか、ってあるよね。最初はだいたいハリウッド映画からじゃん。

東海林:そうだね、ハリウッド映画しか、地方ではやってないしね。

近藤:それだと、ヨーロッパ映画に興味持っても見れないじゃん。どうすんの?

東海林:レンタルビデオ屋に、ちょっとマニアックなのも置いてあったからね。少ないけど。あとはまだ深夜映画がそういうのを拾ってくれてたじゃない?深夜映画って、こっちが見ようと思ってないのに、強制的に出会わされちゃう感じがある。高校時代くらいから深夜映画がすごい好きになったね。


デヴィッド・リンチで筋トレ

近藤:高校時代は、映画の他は何やってたの?絵?

東海林:うん。人知れずこっそりね(笑)。スポーツに興味がなくって部活も入ってなかったし。でも家で筋トレはやってたんだよ。もともと中学は陸上部で砲丸投げやってたし、ガチで体鍛えてたから。デヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』や『ツイン・ピークス』とかを見ながら、1日100回ぐらい腕立てとか腹筋とかやってたよ。


近藤:え!なんで?別に見なくていいじゃん。

東海林:いやなんとなくやっぱね、つけながら。

近藤:おかしいでしょ!筋トレに合わないじゃん!『ロッキー』とかならまだわかるけど。

東海林:ほら、スポーツに興味がないから。ボクシングはスポーツだから興味ないんだよ。

近藤:『ブルー・ベルベット』流して筋トレやってるのって、だいぶおかしいよ。それこそデヴィッド・リンチの映画に出てきそうじゃん(笑)。
しかし『デリカテッセン』とデヴィッド・リンチか。マニアックだね。他にはどんなのが好きだったの?


東海林:あとは『ブレードランナー』。もともとSFが好きで、フィリッップ・K・ディックの小説はほとんど読んでたんだ。中学のときにフィリッップ・K・ディックの没後何年とかの企画展が本屋であって、『ブレードランナー』原作、って書いてあったのね。まだ映画自体は見てなかったんだけど、気になって読んでみたら、なんなんだこの宗教なのか哲学なのかSFなのかわかんない小説は!って思って。


近藤:へー!映画の方が後なんだ。

東海林:うん。高校の時にディレクターズ・カット版が金沢でも公開されて見に行った。映画の中でずっと雨が降ってるじゃない?その日は晴れてたんだけど、見終わって家に帰るまでずっと雨上がりだと思い込んでたのね。映画見てる間に雨降っちゃったんだ、って。で翌日、きのう雨降ったよねって友達に話したら、降ってないよって言われて。もう完全に頭をやられてたよね。雨上がりの濡れた地面を歩いてたって思い込んでた。

近藤:いい話じゃん!そんなに映画に没入することってないよね。

東海林:やっぱ映画館に見に行ってそういう体験をしちゃうと、やめらんなくなるよね。その経験はけっこう大きい。『デリカテッセン』と『ブレードランナー』と、あと大学一年のときに見た『プリシラ』には影響受けたね。


近藤:『プリシラ』か!俺見てないんだよね。

東海林:ええー!なんと!

『プリシラ』は、大学のとき新宿のミラノ座の横にあった小さい映画館で見て、生まれて初めて、終わった後に拍手した。なんか自然とね、拍手しなきゃいけない気がして。

近藤:『プリシラ』はいわゆるドラアグ・クイーンを世間に認知させた先駆けだよね。いまではLGBT系の映画も多いし映画祭なんかも増えてるけど、当時はまだあんまりなかった気がする。

東海林:そうだね。東京国際レズビアン&ゲイ映画祭がはじめてコンペ部門を設けたのが、僕が大学一年のときで、1994年くらいだからね。


『一休さん』にムラムラ

近藤:東海林、バイセクシャルでしょ?それはいつ頃から自覚したの?なんか人と違うな、とか。

東海林:3歳のときに『一休さん』のアニメを見て一休さんが柱に縛られて泣いてるシーンですごい興奮してムラムラしたのを覚えてて。それは忘れられないね。でもその感情がなんなのか、その時はよくわかってなかった。そのあと中学校のときに、同級生の男の子を好きになって。もう確実に好きだってわかって、悩んだよ。オタクだし、SM好きだし。


近藤:それは悩むね。オタクで同性愛でSM好きって、もうお先真っ暗じゃん。

東海林:そう、ホントにお先真っ暗。だから、一回自殺未遂はしてる。

近藤:え、ほんとに?中学で?

東海林:うん。そんだけマイノリティ重なっちゃったら、もう生きてくのめんどくさいから。

近藤:そうなんだ。けっこう深刻じゃん。よく生き延びたね。

東海林:そう、そこを生き延びちゃったから、そのあとは楽なもんだけど。

近藤:俺らが中学のころって、バイセクシャルってまだあんまり知られてなかったよね?ゲイだって、まだホモって呼ばれてたと思う。

東海林:そうそう。ゲイっていう言葉自体も知らなかったし、保毛尾田保毛男(※ホモオダ・ホモオ。80年代のとんねるずのコントに登場する、「ホモ」をデフォルメしたキャラクター。)の時代だよね。

近藤:俺だって小学校のとき、普通に保毛尾田保毛男を笑ってたからね。たぶん、ホモホモとか言ってネタにしてたと思う。

東海林:いや、僕も笑ってたもん。とんねるず好きだったしコントは面白いから。でもほんとね、次の日に学校行くのは辛いです。自分も笑ってたくせに。

近藤:俺のまわりにも同性愛のやつがいた可能性だってあるわけだよね。もしかしたら当時の俺の行動や発言で傷ついて、いまも忘れられないかもしれない。それを想像すると・・・当時はそれが笑っていいものとされてて、きっと何も考えず笑ってたんだよね。その後いろいろ考えるきっかけがなかったら、いまだって昔の価値観のままだったかもしれないと思うと、恐ろしいよ。
でも、保毛尾田保毛男もこないだ問題になったし(※2017年9月『とんねるずのみなさんのおかげでした。』30周年記念スペシャル番組で保毛尾田保毛男が復活。差別的表現だと抗議が殺到し、フジテレビは謝罪した。)、時代は変わってきてるな、って思う。大きなところに出て発言する当事者の人なんて、昔はいなかったよね。


東海林:少なくとも、あんまり知られてはいなかったよね。美輪明宏とか美川憲一とかおすぎとピーコとかはいたけど、ちょっと変わった面白い人っていう見え方でしかないので。

近藤:そうだね。そこは役割というかポジションが違うよね。いまは当事者が発言するようになったし、同性愛に限らず、映画業界でも『童貞をプロデュース』問題 (※『童貞をプロデュース』(2007) 出演者の加賀賢三が、松江哲明監督による性行為の強要を告発するが、松江および制作サイドは取り合わず10年以上に渡り上映を続行した。2019年にガジェット通信による加賀氏へのインタビューにより問題が再注目され、当事者の話し合いも持たれるが、松江のその後の対応があまりに酷く問題は収束せず。松江はその後も沈黙を続けている。) が話題になったりとか、深田晃司がハラスメントに対して声明を出したり(※2019年11月、映画監督の深田晃司が撮影現場に蔓延するハラスメントに反対するステートメントを発表した。)とかしてるじゃん。
俺らはいま古い世代と若い世代の中間ぐらいの歳なわけで。ようやく変化が起こってきてるんだから、そこに、言ってみれば乗るか乗らないか、みたいなことがあると思ってるんだよね。古い世代の人たちはもう仕方ないし、若い人たちは最初から変化の中に生きてる。でも俺らの世代は、態度が問われてると思うんだ。俺は政治的な人間じゃないからデモ行ったりはしないけど、話はするし、思うことは言うよ。ムカついたらムカついたって言う。そういうことを、意外とみんなしない。でもそれをするのとしないのって、けっこう違うような気がしてる。 

東海林:まあ昔から、政治と宗教の話はしないほうがいいって言われてるからね。それは僕はやっぱ気に食わないなーと思ってて。なんでみんな政治や権利のことに興味を持たずに過ごせるか、っていうのが不思議だね。自分の生活に直結してることのはずなのに、なんで興味もたないの、って。

近藤:そうだよね。それに、権利や差別の問題って、単純にムカつくじゃん。当事者じゃなくても、同性愛差別でも女性差別でも韓国人差別でもあるいはミュージシャン差別でも、なんだってムカつくよ。みんなムカついたら、そう言えばいいだけなのに。


幻の初監督作

近藤:発言するだけじゃなくて、東海林みたいに当事者として作品を作るのは意味があると思うんだよね。それって、映画撮ることで悩みとか葛藤とかが楽になったりする部分もあるの?

東海林:ハタチのときに自分のモヤモヤを作品にしたくて最初の映画を撮ったことで、ようやくいろんな人がいていろんな言葉があるっていうことを知って、すごい楽になったよね。それ以来、マイノリティの葛藤とか悩みっていうのは、あんまり感じなくなった。『ロスト・イン・ザ・ガーデン』っていう映画で、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(※現レインボー・リール)で審査員特別賞をもらったのね。その時、まだまったく映画に関する知識がないから、完パケのテープを送っちゃったんだよ。返却されないっていうのも知らなくて。


近藤:コピーじゃなくてマスターを?マジで!?

東海林:そう。で、おととしレインボー・リールで『老ナルキソス』がグランプリもらったときに、実は20数年前にそういうことがあったんですよ、って言ったのね。そしたら当時スタッフだった人が、こないだ引越しがあってたぶん捨てちゃったんですよね、って。だから僕も記憶の中にしかない(笑)。

近藤:幻の映画だね。かっこいいじゃん(笑)。

東海林:そのときに、『骰子(ダイス)』(※映画会社アップリンクが発行していたアート雑誌)のインタビューと映画祭のパンフレットに答える形でカミングアウトしたんだけど、それを見た同級生の友達に、ウソでしょ?かっこつけてポーズで言ってるでしょ?って言われたのね。真面目に取り合うのバカバカしいなって思って、それからあんまり言わなくなった。

近藤:ポーズでそういうことを言う人、いるの?

東海林:いるんじゃない?まあ商業オカマ、みたいな。

近藤:それは、あんまり気持ちよくないね。

東海林:そうそう。でもそれをまた否定するのもバカバカしいな、と思って。


ゲイムービー

東海林:映画祭に出したのが1994年あたりで、その頃ちょうどゲイムービー・ブームみたいなのがあったんだよ。

近藤:そうなんだ。それまでって、ゲイムービーってどんなのがあった?パッと思いつくのは、『モーリス』とかのイギリス美少年ものだけど。 

東海林:『真夜中のパーティ』とか『ベニスに死す』とか。あとデレク・ジャーマン。


近藤:なるほど。いまはゲイムービーって紹介されたりもしてるけど、昔はデレク・ジャーマンを見ても、俺の中でゲイとか同性愛っていうのはそこまでキイワードになってなかったな。

東海林:そっか。じゃあどういう風に見てたの?

近藤:うーん、普通の映画と同じかな。いわゆる同性愛ものだと、たとえば『ブロークバック・マウンテン』とか、同性愛ものっていうより普遍的に素晴らしい映画だと思うんだよ。


近藤:隠さなきゃっていう葛藤とかは、演技も含めてすごくよく描かれてるけれど、俺はたぶん自分の中のいろんな感情に置き換えて見るわけで。当事者じゃないから当たり前だけど。同性愛を描いてるから、っていうことで見るわけじゃない。

東海林:根本的には人間の普遍的な感情しか描いてないわけだからね。

近藤:ゲイムービーではないけど印象的なのは『アメリカン・ビューティー』。

近藤:あれの最後でさ、隣の家のお父さんがさ。

東海林:ああ、そうそう!めっちゃホモフォビア(同性愛嫌悪)なお父さんが、自分がゲイだって気がつく。あれは悲惨だけど、すごいグッとくるよね。ああいう人って、自分の中に同性愛があることに、だいたいみんな薄々感づいてる。

近藤:それを否定したいために、極端にマッチョな方に・・・。

東海林:そう、マチズモ(男性優位主義)に走っちゃう。だから自分の中にまったくその感覚がない人は、そもそも恐怖でもなんでもない。自分の中にあるから怖いんだよね。いけない、あってはならないって思ってるのに、自分がそうだって気がついた瞬間て、やっぱ怖いじゃない。

近藤:なるほどね。あのシーンはとても印象深いよね。あれはたまらないだろうと思う。

東海林:でも、ああいう人は本当にいるんだよ。アメリカってまだ同性愛の矯正施設があるのね。半分拷問みたいなことをやって人格矯正してしまう、っていう非人道的な施設。たぶん去年かおととしの話なんだけど、そこで所長として同性愛矯正に関わってた人が、実はゲイなんです、ってカミングアウトしたんだよね。

近藤:それすごいね!

東海林:自分がそうなんだけど認めたくないから、他人を矯正しちゃうんだよ。

近藤:うーん、それはせつないね、って、せつないなんて言葉は合わないけど・・・しんどいだろうね。


大学を中退、VJに

近藤:映画祭に出したのって、大学のときでしょ。卒業はしてないんだよね?

東海林:うん。大学辞めて、もともとバイトしてた立川のセブンイレブンで土日の深夜だけ働いて月8万くらい稼いで、あとはVJやってた。VJってまだやってる人が少なくて、それこそ宇川(直宏)さんくらいしかいなかったから、あっという間にいろんなとこに呼ばれるようになったんだよね。


東海林:それで自分でも発表の場がほしいから、下北のBasement Bar でオールナイトのイベントを毎月やるようになって。ひどい赤字のイベントだったけどね。オールジャンルのDJイベントで、DJはいろんな人が交代だけど、VJは自分たちだけで一晩中やんなきゃいけないっていう、地獄のような。

近藤:VJコーナー、とかじゃなくて、ずっと?

東海林:そう。VJは一晩中流してるっていう、もうストロングスタイルで。

近藤:それはすごいね!

東海林:お金にはならなかったけど、いろんな人が面白がってくれて。ちょうどCS放送が始まったころで、テレビのディレクターがイベントに遊びに来て、一緒に番組やろうよ!って誘われたり、アップリンクと繋がって映画の予告編をやるようになったりして、本格的に映像が仕事になりはじめた。だからVFX(※ビジュアル・エフェクツ。CGなどを使った映像の特殊処理。)を仕事にするようになったのって、完全に偶然なんだよ。
当時はCGってまだすごく高くて、へンリーっていう一台3億円くらいするCGマシーンとかで作ってたのね。その時代に、個人で家で合成できるやつがいるっていう噂が業界で広まって。売れる前のアーチストを抱えてる会社が声かけてくれてPVやったり、そこからどんどん仕事になっていった。


バーチャル婚

東海林:そんなこんなで忙しく働いてたんだけど、あるときネットゲームをはじめたのね。それまでメールもやってなかったのに、ゲームやるためにインターネット繋げて。人とも適度な距離が取れるし、あまりにもその世界が心地よすぎて、気がついたら引きこもってたんだよね。2年くらいそうしてたかな。

近藤:フリーで仕事受けながら、引きこもってたわけ?

東海林:そう。当時はまだネット回線が太くなくて、合成する映像素材は直接もらいに行かなきゃいけないから、月に1回だけハードディスク持って都心まで行って、あとは家で作業してた。で、ゲーム内で、地方の19歳の女の子と結婚したんですよ。


近藤:なんなの、それ?同じゲームをやってたってこと?

東海林:そう。僕の主催してたゲーム内のチームに彼女がメンバーとしていたんだよ。もともとは、同じチームにいた別の男が彼女に粘着してたの。会いたい会いたいって。で、彼女に相談されて、彼を遠ざけるために、僕ら付き合ってるからっていうことにして。そしたらそのうち彼女のほうから、ゲーム内で結婚しない?って言われて、面白そうだしやってみよう、って。

近藤:じゃあわりと気軽な感じで。

東海林:もちろん。あくまでゴッコだから。でも、もともと気が合うから同じゲームやってるわけだし、どんどん楽しくなっちゃって。お互いの顔も写メで送ってるし、電話番号も知ってるし。そのうち、彼女が他の人と(ゲーム内で)遊んでることに嫉妬してる自分に気づいた瞬間があって、あこれもうマジじゃん、って思った。ただの恋じゃん。って。

近藤:へー!その子とは、会ったの?


東海林:会った。このままハマってたらどんどん仕事もなくなってくし、ゲームをやめて生活を正さないとダメになってしまうから、最後に彼女に会ってゲームをやめよう、って思ったのね。
で、そのときちょうど新宿ロフトでVJやることがあって彼女を誘ったら、リハ中に隣のビルが火事で燃えてロフトまで煙が降りてきて、イベント中止になったの。

近藤:えーすごいね!じゃあ彼女はVJ見てないの?

東海林:うん。リハは見てたけどね。で、ウチに来て二人でご飯食べて、彼女が『呪怨』が見たいっていうから近所のTUTAYAで借りてきて。で、しよっか?てなったら、彼女はまだ19歳で照れもあったろうし、やだ、って言ったの。そのときなんか、ホッとしたんだよね。断られた、ここで関係を絶ってもいいんだ、って。

近藤:なるほど。戻れる、と。

東海林:そう、戻れる。わかった、って言って何もせず寝て、翌日そのまま帰した。それっきりゲームをやめて、彼女とはそれ以来会ってないし連絡も取ってない。

近藤:いまの話むっちゃいいじゃん。

東海林:そこで肉体的に結ばれちゃってたら、たぶんゲーム辞めれてなかったと思うんだよね。


エロVシネを撮る

東海林:ゲームやめたとき29だったんだけど、ちょうどそのタイミングでエロVシネの監督の話がきて、いまの自分はこれをやるしかない!って思って監督デビューしたのね。それ以来、なんとなくいい具合に繋がってる。

近藤:『喧嘩番長』シリーズとか、他にもけっこういっぱい撮ってるじゃん。
監督仕事は、VFXとはまた別だよね?


東海林:そうだね。30代はホントとにかく仕事でお金稼がなきゃ、と思ってた。最初はVFXがメインだったけど、徐々に逆転して、演出家としての収入の方が増えていったね。

近藤:自分的には、どっちなの?

東海林:演出家だね。VFXは技術職なんで、最新技術に常に目を光らせて取り入れていかないとダメだから。もちろん普遍的な部分もあるんだけど、新しいテクニックだったり機材だったりは常に勉強しなきゃいけなくて、個人でやるにはちょっと辛いんだよね、予算も含めて。情報交換できる仲間がいっぱいいるところでやった方がいい結果が出るから、VFXを一生仕事として続けるんなら、法人化して会社にした方がいいと思う。

近藤:なるほど。
それまでも、監督や演出をやりたいとか映画撮りたい、とか思ってたの?

東海林:20代の頃は、半分あきらめつつも、自分で演出やりたい、っていうのはやっぱずっとモヤモヤしてた。だから最初のエロVシネは、まったく経験ないのに二つ返事でやるって言っちゃったんだよね。クランクインの10日くらい前に監督が降板してまだ脚本もなくて主演も決まってないっていう状態だったから、まあ大変だったけど。結果的にいまにつながったわけだから、よかったよ。 


自分で撮る

近藤:いわゆる自主映画を撮り始めたのって、遅いんだよね?

東海林:19のときに一本撮って、そのあとはずっと撮ってなかったからね。『23:60』(2007年)はCGだし引きこもり時代の自分を総括するためにやったから別として、『ピンぼけシティライツ』が4〜5年前だね。あれは、主演の星能(豊)くんと梅沢(佐季子)さんから、私たちを主役にして短編を撮って、って言われたの。とある映画祭の、役者発信でなにかやろうっていう企画だったらしくて。でも正直、『ピンぼけシティライツ』に関しては、後悔みたいなものがあるんだよね。いちおうやりたいことはやったけど、技術でうまく綺麗にまとめてる。それに気がついたときは、けっこうショックだったね。


近藤:それは、できてから気づいたの?

東海林:できてから、いろんな映画祭に出品して、他の人の映画と見比べたときだね。みんなパッションがあふれてる、というか、やりたいことやってる。俺はプロとして悪い手癖というか技術に囚われちゃってるな、って思ったんだよね。それで、自分の好きなことだけやりたくて、翌年また撮ることにした。
でも、好きなことっていても、じゃあなにやる?ってなって、自分自身に立ち返ったときに、ゲイ・ムービーだ!って思ったのね。いまこそやるべきじゃないかって。で、周りを見渡したらちょうどLGBTブームだったんだけど、どの映画を見ても綺麗な映画ばっかりで、僕が20代の頃に見てたような、例えば『プリシラ』とか『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』みたいな、いわゆるクイアな(=変な)やつがなかった。

近藤:その頃のLGBT映画って、どんなの?『アデル(、ブルーは熱い色)』とか?


東海林:『アデル』とかグザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』とかは好きだけど、それとは別に、邦画でいわゆるBL ブームに乗っかった商売的なものがのいっぱいあったんだよ。自分のセクシャリティに悩んでそれを打ち破って、っていう話自体はいいんだけど、どれを見ても綺麗で、クイアじゃない。じゃあ俺がもっとクイアな映画撮ってやる、って思ったのね。で、自分自身もSM好きだけど歳とって体も衰えてるからお店に行きづらい。そういうのをちゃんと映画にしたいって思って撮ったのが『老ナルキソス』。だから、あれも自分のことなんだよね。


作ったら、見てほしい

近藤:『ピンぼけシティライツ』(2016年)、『老ナルキソス』(2017年)、『ホモソーシャル・ダンス』(2019年)、『帰り道』(2019年)、4作ぜんぶ違うよね。


近藤:『ホモソーシャル・ダンス』なんかは、スーパー異色だし。ダンス映画というか、セリフもない。俺は好きだけど。

東海林:よかったよかった。あれはみんなリアクションに困るよね(笑)。

近藤:あれはすごくいいよ。異色すぎて他と比較もできない。
『帰り道』は、自分も音楽やってるから客観的に見れないけど、直球だよね。最初ラフを見た時、東海林こんなシンプルなの撮るんだ、って思ったもん。

東海林:『帰り道』はもうホント素直に、超ストレートに撮った。あれは、国内の評判はいいんだけど、海外に関しては難しいと思う。1940年代の戦時中の日本、っていうのがわかりづらいんだよね。テロップも出ないし背景説明がないから、日本が敗色濃厚で戦争行ったらきっともう二度と帰れない、っていうところまでは理解できないかもしれない。海外もそれなりの数の映画祭にエントリーしてるけど、苦戦するかも。

近藤:すごいよね。自分でそんなに海外に出してる監督って、多くないんじゃない?

東海林:そうかもね。でもやっぱ作ったら見てもらって、上映してる場所に行かないとダメだと思うんだよ。もちろん賞もらえば嬉しいんだけど、それって自己顕示欲というか自信が満たされるだけで、あんまり意味がないような気がしてて。やっぱり現場に行って他の作品と見比べて、そこにいる人の感想を聞いて、それをどう活かすかっていうことを考えないともったいないな、と思ってる。そもそも入選すること自体だって難しいから、入選したらなるべく行きたいな。

近藤:ホントに、それはマジでリスペクトするよ。音楽でも、つくるのはみんな当たり前にやるんだけど、そのあとのことって、事務作業があったり人と会ったり、音楽とは直接関係ないじゃない?だからみんなやらない。いい音楽作ってる人はいっぱいいるけど、作ってもそこで終わってしまうというか、広く聞かれないっていうのはすっごいよくあることなんだよね。


東海林:どこを自分のゴールにするかだよね。作り終わったらゴール、っていう考え方ももちろんあるとは思うんだけど。作り終わったあとのことって、監督の仕事じゃないといえばそうだけど、せっかく見てくれそうな人がいるのに宣伝しないのはもったいないな。

近藤:単純にすごいと思うよ。ホント素晴らしい。やっぱり何かしらアクションしないと、知り合いにしか届かないからね。

東海林:いわゆる小劇場ブームみたいなもんだよね。身内で回しちゃう。正直、いまのインディーズ映画界ってちょっとそうなりそうな空気がある。だから、外にひろげていかないとダメだなーと思うんだ。


これからのこと、MVのこと

近藤:長編撮りたいとか、あるの?

東海林:そりゃあ撮りたいよ!いくつか動いてるのもあるし、企画書出してるのもある。それをなるべく、会社からの依頼ではなく、自分の企画としてやりたい。脚本は自分じゃなくてもいいんだけど。それが次の目標かな。

近藤:いいじゃん!まあ、お金とか具体的なことはいろいろあるかもしれないけどさ、そうやって思って、見えて、やってるっていうのは、すごくいいよ。
いわゆる商業仕事が天職になる人もいるわけだけど、東海林は違ったんだろうね。

東海林:そうだね。やっぱ物足りなかった。けっきょく、やらされてる感が大きくなっちゃったんだよね。この何年間かで、自分の中の作家性を追い求めるしかないっていう覚悟を決めた。でもそれって、怖いことじゃん。作家性を追い求めたがゆえにメシが食えなくなる人なんて星の数ほどいるし。だからこそ自分は、商業監督として技術に寄せた生き方をしてきたのに、けっきょくそこに目を向けざるをえないんだ、っていう。まあうまくいくかは別として、見通しはあるから、あとはそこに向けてがんばればいいかなって思う。

近藤:そんな中で、よくMV受けてくれたよね。

東海林:それはまあ映画の音楽もやってもらったしさ。でもMVに関しては、基本的に知り合いじゃないと受けない。やっぱ特殊だし、技術的なことや制作的な面も含めて、MV業界ってあると思うのね。僕が駆け出しの頃は、丹下紘希さんとか有名なMVの人がいっぱいいて、中途半端に手を出しちゃいけない気がしてた。僕も昔はMVもやったけど、どれも納得いかなかったんだよね。やっぱMVは専門の人に任せた方がいいな、っていうのはいまでもある。

近藤:なるほどね。逆に、よく俺に音楽頼んだなとも思うけどね。だって映画の音楽なんてやったことなかったし。

東海林:そうなの?久しぶりに会って音源聴いたときに、めちゃかっこいいじゃん!って思って。それはもう冗談でもなんでもなく。

近藤:いやそれはもちろん嬉しいよ!でも、音楽頼むって、また一歩先の話じゃん。しかも、そんなに具体的な指示もなかったと思う。

東海林:いちおうイメージの音楽はつけて渡したし、それで十分だと思った。あんまり言っちゃったら、人に頼む意味なくない? ぜんぶ自分がコントロールしちゃったら、自分でやればいい話だから。

近藤:あーそれはわかるな。俺もできるだけ言わないようにしてる。今回のMVも、最終的にできたものは最初に伝えたイメージとはぜんぜん違うじゃん。ここでこの絵を使って、とか具体的に言うこともできただろうけど、そうすると驚きがないんだよね。俺の頭の中のイメージを具現化するだけなら、技術がある人を雇えば誰でもいいわけで、別に東海林じゃなくてもいい。そんなの、なんの意味もない。

東海林:そうだね。それは想像を超えられなかったってことだよね。お互いのやりたいことを、どういう化学変化が起きるか探り合って落しこんでく方がクリエイティブだし、楽しいよね。

近藤:その通りだね。自分の中にないものが出てくるのが、共同作業の醍醐味だよね。いやー、いいのできてよかったよ!

東海林:そうだね。反応が楽しみだよ!

近藤:だね!東海林の長編も、楽しみにしてるよ!




東海林 毅(しょうじ つよし)

蔵野美術大学在学中から映像作家活動を開始し1995年 第4回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて審査員特別賞を受賞。『劇場版 喧嘩番長』シリーズなどの商業映画を監督する一方、VFXアーティストとしても映画やテレビで幅広く活動している。
近年、表現の幅を広げるために自主映画にも力を入れ、ゲイの老いと性を描いた「老ナルキソス」(2017)は第27回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(レインボー・リール東京)でグランプリを受賞したほか国内外の映画祭で10冠を達成。2019年3月には自主短編映画を集めた自身初となる監督特集『偏愛ビジュアリスト』が池袋シネマ・ロサにて1週間行われ好評を博した。
2020年秋に漫画原作の長編『はぐれアイドル地獄変』が公開待機中。

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